李仲燮(イ・ジュンソプ)美術館再訪~新たに寄贈された「李健熙コレクション」一般公開

令和3年9月16日
「済州と日本のちょっといい話」は、2020年4月から2022年7月まで2年4か月にわたり済州で総領事を務めた井関至康前総領事が、済州の様々な場所と人々に出会い、済州道民の皆様からの協力を得て、取りまとめたものです。多様な分野で長い間続いてきた済州と日本の深い関係に触れる一助となれば幸いです。
※「済州と日本のちょっといい話」の記事内容は連載当時のものであり、一部内容は最新の状況と異なる可能性があります。


 

 井関至康総領事は、西帰浦市の公立美術館、李仲燮(イ・ジュンソプ)美術館を再訪しました。李仲燮美術館では、故・李健熙(イ・ゴニ)サムソン電子会長のコレクションから、西帰浦にゆかりのある故・李仲燮氏の作品12点の寄贈を受け、これらの作品を一般公開する特別展「70年ぶりの西帰浦への里帰り」(2021年9月5日~2022年3月6日)を開催するに至り、訪問したものです。今回も、田殷子(チョン・ウンジャ)学芸研究士にご案内頂きました。
 

韓国を代表する現代画家「李仲燮」

 李仲燮氏(1916~1956)は、日本で美術を学び、その当時から日本自由美術家協会に作品を出品する等、日本画壇で活躍していましたが、 死後、韓国を代表する現代画家と認められるようになりました。生前は1950年に勃発した朝鮮戦争の戦火の中、日本人の夫人・山本方子氏や子供たちと日韓両国で離ればなれの生活になり、極貧の中で亡くなった人物です。西帰浦には、朝鮮戦争の戦火を避けて家族で移り住み、1年間過ごしました。厳しい避難生活ではありましたが、李仲燮氏にとっては、家族と一緒に愉快に過ごした、とても大切な1年であったとされています。美術館は、風光明媚な西帰浦の海を見晴らす、彼ら一家が過ごした済州島伝統の茅葺き家屋(1997年復元)のすぐ近くの丘の上に建っています。
 

新たに公開された「李健熙コレクション」

  今回、新たに公開された李健熙コレクションの作品の中には、李仲燮氏が西帰浦滞在中の1951年、今の美術館の辺りから描き、展覧会の名称どおり70年ぶりの里帰りを果たした油彩の風景画「森島が見える風景」をはじめ、韓国にひとり残った李仲燮氏が日本にいる家族への思いや西帰浦での思い出などを描いた作品、1940年代前半に結婚する前の山本方子氏に送った葉書画、厳しい生活で画材の入手が難しかった時期に、たばこを包装する銀紙に描いた銀紙画などが含まれています。
 
 李仲燮美術館は、2022年11月には、2002年の開館から20周年の節目を迎えるとのことです。これまでも、規模は小さいながらも、韓国の公立美術館としては屈指の来館者数を誇る等、李仲燮氏の芸術性と、その芸術性を高める上で大きな力となった家族との絆を世に知らしめるために、大きな役割を果たしてきました。今回の李健熙コレクションの寄贈を受け、今後とも、より一層の発展を祈念申し上げます!
 

訪問関連フォト



△田殷子学術研究士、今日も詳細なご説明ありがとうございます!


△今回の展覧会に際して、美術館には、日本でご健在の山本方子氏(1921年生まれ)とご子息の山本泰成氏から、お祝いのメッセージが寄せられました!


△今回の展覧会の代表作とも言うべき油彩画「森島が見える風景」。今、美術館から見渡す西帰浦の海と、70年前に李仲燮氏がこの絵に描いた海が、同じ西帰浦の海だと思うと、西帰浦の皆さんがこの絵に特別な思いを抱くのは、ごく自然なことと感じられます。李仲燮氏の作品は、力強いタッチのものや、躍動感にあふれる構図のものが多く知られていますが、家族と楽しく過ごした西帰浦で描いたこの作品からは、李仲燮氏の安らかな気持ちが伝わってくるようです。


△西帰浦の海辺に遊ぶ家族をモチーフとした油彩画「海辺の家族」。青緑色の海を背景に、鳥たちと家族が織りなす和気藹々とした空気感を描いており、李仲燮氏の生き生きとした線描が際立つ作品であると評価されています。人物と鳥と自然が一体となりながら、軽快な印象も与えます。
 李仲燮氏は、力強い牛を描いた作品が一般に広く知られていますが、実はモチーフとして最も多いのが、子どもだということです。また、鳥も、モチーフとして数多くの作品で用いられています。



△李仲燮氏は、厳しい生活で画材の入手が難しかった時期には、この2つの作品のように、紙の両面に絵を描くこともしました。上の家族4人と鳩を描いた油彩画「鳩と子ども達」は、白い鳩を取り巻く全体の色調は暗く重く感じられますが、その一方で細部に目を向けると、鳩を見つめる李仲燮氏の眼差し、妻・山本方子氏と2人の子どもの眼差し、いずれもとても優しく、和気藹々とした家族の一体感が強く感じられます。


△日本にいる家族に送った作品「魚と二人の子ども」です。
 「やすなりくん げんきですか。パパ」のメッセージについては、李仲燮氏は、二人のまだ幼い息子たちが喧嘩しないように、できる限りそれぞれにメッセージを込めた手紙をしたためていたということです。


△海の向こうの家族に会いたい、という強い気持ちがダイレクトに表現されている作品「玄海灘」は、コロナ禍の中で、会いたい人になかなか会えない思いをお持ちの、今日の多くの皆さんの心にも響くものがあるのではないでしょうか。


△子ども好きの李仲燮氏は、自分の息子達だけでなく、多くの子どもを描いた作品も多く残しましたが、左の「魚と遊ぶ子ども達」に描かれた魚は、西帰浦の海で捕れた魚がモチーフとなっているとのことです。また、右の「子ども達とひも」では、子ども達を束ねているかのような1本のひもが、心のつながりを示しているとも解釈されるとのことです。


△李仲燮氏は、1940年代前半、結婚前の山本方子氏の家に、文章を書かずに絵だけを描いた葉書をよく送ったということですが、残されている作品は大変貴重ということです。李仲燮氏は1943年に故郷である元山(ウォンサン、現在の北朝鮮)に戻りましたが、山本方子氏はそれを追いかけて玄海灘を渡り、1945年5月に元山で結婚式を挙げるに至ったということです。
 絵は左から「草上の牛と人々」「海辺で鳥と遊ぶ子ども達」「しろつめくさ」です。


△今回寄贈を受けた李仲燮氏の銀紙画2点。画材の入手が難しい中で、窮余の策としてたばこを包装する銀紙に描いたものですが、作品はやはりどう見ても李仲燮氏の絵です。そもそも薄い銀紙に線を刻むのは極めて高度な技術が求められるということですが、加えて美術館の立場からも、保存も修復も大変難しい作品でもあるということです。


△李仲燮一家が西帰浦で過ごした、済州島伝統の茅葺き家屋。美術館は、このすぐ近くに建てられました。とはいえ、朝鮮戦争の避難民が済州島に押し寄せ、住宅難を極めた当時、この家をまるごと使っていたのではなく、その中の狭い1室に親子4人肩を寄せ合って住んでいたということです。妻・山本方子氏は、復元されたこの家を日本から久々に訪れた際、こんなに狭かったのかと改めて驚いたということです。2022年は、李仲燮美術館開館20周年であるとともに、この家が復元されて25周年の節目に当たる年でもあります!


△李仲燮一家の住居の復元に先立つ1996年には、李仲燮氏を称えるべく、その脇の道路が「李仲燮通り」と名付けられました。
 

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