飛揚島(ピヤンド)~済州で最も新しい?島にして、済州の元祖観光施設の対岸

令和3年10月11日
「済州と日本のちょっといい話」は、2020年4月から2022年7月まで2年4か月にわたり済州で総領事を務めた井関至康前総領事が、済州の様々な場所と人々に出会い、済州道民の皆様からの協力を得て、取りまとめたものです。多様な分野で長い間続いてきた済州と日本の深い関係に触れる一助となれば幸いです。
※「済州と日本のちょっといい話」の記事内容は連載当時のものであり、一部内容は最新の状況と異なる可能性があります。


 

 井関至康総領事は、週末を利用して、済州島の北西に位置する飛揚島(ピヤンド)を訪れた機会に、離島勤務に励む飛揚島治安センターの警察官の皆さんを表敬訪問し、激励しました。
 

済州で一番新しい島とも言われた「飛揚島(ピヤンド)」

 済州島の翰林(ハルリム)の港から船で約15分。長年、約千年前に火山活動でできた済州で一番新しい島とも言われてきましたが、実際には約2万7千年前に形成されたものと分かったようです。半日ほどで歩いてぐるっと回れる、登録人口160人ほどの小さな島で、もともと漁業の島でしたが、近年は週末に訪れる観光地として人気が高く、観光客や釣り客の対応も警察官の皆さんの重要任務ということです。そういえば、済州オルレの徐明淑(ソ・ミョンスク)理事長が、ソウルでのジャーナリスト生活に終止符を打ち、後に故郷・済州に戻り済州オルレを立ち上げるに至ったのも、飛揚島を訪れた際に触れた美しい自然が大きな契機になったそうです(済州オルレのコースはありませんが)。
 

飛揚島と宋奉奎会長を巡る歴史

 海もきれいで、自然豊かな、のんびりした島ですが、太平洋戦争末期には、大変な悲劇がありました。旧日本海軍の輸送船「寿山丸」、護衛艦「海防艦31号」、「能美」の3隻が、潜水艦の急襲を受け沈没し、多くの日本軍人の命が失われました。地元の漁師さん達が、生存者の救助活動や、海岸に流れ着いた遺体の埋葬等を行ってくれたそうです。また、この飛揚島は、済州道韓日親善協会の会長・名誉会長を永年務められた宋奉奎(ソン・ボンギュ)会長が日本の観光地をベンチマークして設立された、済州の元祖観光施設「翰林公園」の目と鼻の先。1930年生まれの宋奉奎会長は、1982年以降、日本から慰霊団が来訪して慰霊祭を実施した際には、全面的に協力し、私財を含め支援も行って下さいました。また、1972年に我が国厚生省(当時)が戦没者の遺骨収集を行った際にも、その作業や本国への遺骨返還に、誠心誠意協力してくださったということです。    

 平和な島に、同じ「島に来て勤務する公務員」を訪ねつつ、今の平和な島の姿を楽しむとともに、対岸の翰林公園を眺め、済州と日本の関係に携わる公務員として、改めて宋奉奎会長の私心無き真心に感じ入ったのでした。  
 そして2021年10月10日には、宋奉奎会長が翰林公園を設立されて、50周年の節目を迎えられました。済州で一番新しいと言われた島の対岸に、済州の元祖観光施設があるというのも、なんだか面白いお話しです。宋奉奎会長、誠におめでとうございます!
 

△飛揚島治安センター。ご対応いただき、ありがとうございました!
 

△海越しに漢拏山を望みます。済州の離島を訪れる醍醐味です。
 

△この対岸が翰林公園です。かつての悲劇が想像できない、穏やかな海峡の景色です。
 

△飛揚島は、『新增東國輿地勝覽』の記録では1002年に火山活動で生成したとされており、噴火口の周りが山になっていて、その頂上には灯台が建っています。頂上に登っていく道は、なかなかいい感じのハイキングコースです。
 

△のんびりと歩いて、飛揚島の自然を満喫しました!
 

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