張時英(チャン・シヨン)財団~済州と日本をつなげた医師・実業家、張時英氏の業績

令和3年3月10日
「済州と日本のちょっといい話」は、2020年4月から2022年7月まで2年4か月にわたり済州で総領事を務めた井関至康前総領事が、済州の様々な場所と人々に出会い、済州道民の皆様からの協力を得て、取りまとめたものです。多様な分野で長い間続いてきた済州と日本の深い関係に触れる一助となれば幸いです。
※「済州と日本のちょっといい話」の記事内容は連載当時のものであり、一部内容は最新の状況と異なる可能性があります。



 井関至康総領事は、済州市内の「張時英財団」を訪問し、故・張時英氏のご子息で同財団の張建宅(チャン・ゴンテク)理事長、お孫さんで事業を引き継いでおられる張奎成(チャン・ギュソン)三南石油代表理事、ライオンズクラブ国際協会済州地区の金昌現(キム・チャンヒョン)総裁と対談しました。
 

張時英財団とは?

 済州出身の張時英氏(1922~2017年)は、済州道医師会長も務められ、長年に亘り済州医療界の発展に貢献したお医者さんでした。が、それにとどまらず、実業家として済州有数の企業となる石油類卸売会社を創業、元軍医として大韓民国在郷軍人会済州道支会長も歴任、さらに済州のライオンズクラブの創立と発展にも貢献等々、幅広い分野で活躍された、懐の広い大人物でした。済州と日本との関係にも大きく貢献され、その功績で、平成23年春には旭日双光章を受章しておられます。「張時英財団」では、張時英氏の業績を称えるべく、執務室の遺品をそのままの形で移し、保存しておられるとのことです。
 

済州と日本を繋いだ、張時英氏の功績

 医師への道を歩み出し、当時の済州医院で日本人小島医師から指導を受けつつ技量を磨いた張時英氏は、第二次世界大戦後、在留邦人の本邦引き揚げを積極的に支援しました。特に、昭和20年12月、満州方面に駐屯していた旧日本軍部隊約300名が、我が国への引き揚げ途中に済州に寄港した際、収容された数多くの負傷兵たちに対し、昼夜を分かたず熱心に治療に当たりました。張時英氏のこうした献身的な姿勢が奏功し、同部隊は全員無事に我が国に帰還することができたそうです。

 また、自身が創立に携わった済州のライオンズクラブにおいても、1970年には静岡ライオンズクラブとの、1980年には宝塚王仁ライオンズクラブとの姉妹関係締結を推進されたことをはじめ、活発な活動と頻繁な日本訪問を通じて、済州と日本の間で多くの友情を培われたということです。

  張時英氏が活躍されたのは、日本との関係だけではありません。朝鮮戦争の際及び休戦後には、韓国海軍及びその隷下の韓国海兵隊の軍医として、負傷兵の治療等に従事しました。また、退役後も、朝鮮戦争で活躍し、韓国防衛に尽くした済州出身の海兵を記念するための「海兵魂碑」の建立に奔走されました。こうした功で、張時英氏は1990年、韓国海兵隊司令官により「名誉海兵」第1号として委嘱を受けるに至ったとのことです。

 張時英氏の生涯は、日本を、韓国を、そして故郷である済州を愛され、日本人の命も韓国人の命も等しく救い、さらに済州と日本の距離も、済州と韓国本土の距離も縮めてこられた一生でした。その生き様の尊さを、今、済州にいて、済州と日本の関係に携わる我々としても、改めて噛みしめる素晴らしい機会になりました。
 

訪問関連フォト


△済州のライオンズクラブの本部には、張時英氏の胸像が飾られています。張時英氏は、韓国ではまだライオンズクラブがソウルにしか無かった時期に、済州のライオンズクラブ創立に貢献した創立会員であるとともに、済州のライオンズクラブが釜山から独立した1993年からは初代の地区総裁を務める等、済州のライオンズクラブの発展や日本のライオンズクラブとの交流にも大きく貢献されたとのことです。


△張時英氏が建立推進委員会の長として物心両面で貢献された「海兵魂碑」。朝鮮戦争における済州出身の海兵第3期・4期生の活躍を記念すべく、1960年、済州の旧市街の一等地である東門ロータリーに建てられました。朝鮮戦争開戦後の1950年8月、海兵隊に海兵3期・4期生として志願入隊した3千人強の済州出身者は、朝鮮戦争開戦後、北朝鮮軍の攻撃で釜山周辺と済州等を残すのみだった韓国軍の反撃に大きな力となり、仁川上陸作戦や白馬高地をはじめとする激戦で、海兵隊の主力として活躍しましたが、済州に戻れたのは約千人しかいなかったそうです。こうした活躍は、済州特別自治道在郷軍人会が発刊した書籍『漢拏の若い英雄たち』によれば、韓国において、済州4・3事件で北朝鮮との関係を疑われ「失墜していた済州人の名誉を大きく回復させる決定的なきっかけになった」とのことです。済州出身の海兵隊員の身を挺した犠牲を称える「海兵魂碑」が、済州道民の皆さんにとって、どれだけ大きな勇気を与えてきたか、想像に難くありません。


△張時英氏の生前の愛車「レクサス」。韓国でレクサスを初めて正規代理店が発売開始してから間もない時期に購入された、済州道における第1号車だそうです。お孫さんの張奎成さんからは、「20年近くたっても消耗品を交換した以外、全く故障無しでよく走ります。さすがレクサスです!」とのお言葉をいただきました。我々の代わりに宣伝までしていただき、大変ありがとうございます!
 

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