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韓国青年訪問団参加者感想文(大学生)
 1月17日(火)から26日(木)までの9泊10日間,済州の大学生10名が日本に派遣されました。

 参加者は,2016年10月に日本総領事館で実施した一般選考を通じて選抜されました。

 本事業は,日本政府が実施する「21世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYS2.0)」の一環として行われました。

 東京,沖縄,熊本,大阪等をめぐり,企業·工場訪問,日本の大学生との交流,地方都市でのホームステイ等,多様なプログラムが実施されました。

 参加者の感想文の一部を紹介します。
 
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済州大学校3年 日語日文学科 カン・ボミ(康甫米)
 1月17日から26日までの9泊10日間,韓国代表として,「韓国青年訪日団」に参加することになった。長い間待ち続けてきた研修であっただけに期待も大きく,私は胸を弾ませながら研修に参加した。
 済州チームは,まず釜山に行って,釜山チームと合流してから日本に行くため,午前7時20分に空港に集合した。釜山で釜山チームと共に飛行機に乗り,日本の成田空港に到着すると,日韓文化交流基金の先生方が私たちを待っていた。名札を受け取り,大学生チームの第6団と,高校生チームの第7団は,各自のバスに乗り込むと,いよいよ研修が本格的に始まった。東京に到着した時は,夕食の時間であったため,とてもお腹が空いていたが,幸いすぐに食事をしに行くことになった。バスの窓から外の風景を眺めていると,私は本当に日本に来たのだという実感が沸いてきて,胸がいっぱいになった。食事をしながら,済州チーム,釜山チームともに簡単な自己紹介を行い,気まずい雰囲気が少し和らいだ。
 食事を終えた後,私たちが最初に訪れた場所は,東京のランドマークである「東京タワー」であった。昨年に東京旅行をした時,六本木ヒルズから夜景を見た。その時に目にした東京タワーも美しかったが,今回間近から見た東京タワーは,一層素晴らしかった。150メートルの高い位置から夜景を見た時,きらめく光たちが,私を一層ときめかせた。初日は移動時間が長く疲れていたため,東京タワー見学を最後に,この日の予定を終えた。  本格的な日程は,2日目から開始された。この日は,講演と歓迎午餐会があったので,フォーマルな服装で行事に参加した。講演は,企業のマーケティングに関する内容だった。講演が終わった後,同じ建物で歓迎午餐会が開催された。今回の研修の主題に合わせ,各地域で生産される食材で作った飲食物を味わったのだが,一つ一つが丹念に作られていて,とても美味しかった。
 午餐会を終えた私たちは,日本の伝統衣装である着物を着て茶道体験ができるという,品川歴史館に向かった。着物を一度も着たことがなかったので,今回の研修を通じて着ることができて,とても良い機会になった。着物の着付けは思っていた以上に難しかった。誰かが助けてくれなければ着ることができない衣服だった。しかし,着てみると,不便さと難しさを忘れてしまうほどに美しかった。着物を着た私たちは,茶道体験をした。私は,今まで茶道といえば,ただお茶さえ飲めば良いものだと思っていたのだが,私が考えていたものよりも,気を遣わなければならないものだった。お茶を出す人も,それを飲む人も,気を遣わなければならないものが茶道であった。茶道における「一期一会」という用語は,「後悔なきようしっかり接待せよ」という教訓の意味があるのだという。今までも素晴らしい意味の言葉であるとは知っていたが,本当の意味を知ったことで,私もあらゆる人に対して気を遣うようにしようと思った。体験を終えて,お台場の食堂でお好み焼きと焼きそばを夕食時に食べ,宿舎に戻って自由時間を過ごし,1日を終えた。  
 3日目は,私たちと同世代の学生たちとの交流の時間を過ごした。横浜にある明治学院大学を訪問し,学生たちとキャンパスツアーをした後,討論の時間を設けた。私たちの組の討論テーマは,「韓国と日本の高校生の日課」であった。常にキツキツで勉強する韓国とは異なり,より余裕のある日本の高校生の生活を聞いて,少し羨ましく思えた。また,お互いの共通点と差異点も共有し,理解していき,楽しむことができた。大学での日程が終わった後は,夕食から自由時間となっていたので,明治学院大学で出会った日本人の学生たちと共に,横浜で夕食を食べ,交流の時間を過ごした。 東京で2泊3日の日程を過ごし,私たちは,4日目に沖縄へと移動した。沖縄に到着後,沖縄そばを食べ,平和記念公園を訪れた。ここは,第2次世界大戦当時に犠牲になった方々の魂を鎮めるために造成された公園である。ここにある韓国人慰霊塔に献花を行い,公園を散策した後,記念資料館を見学した。思っていた以上に戦争は多くの被害を残していて,犠牲となってできた傷を知るにつれ,胸が締め付けられる思いだった。
 資料館見学を終えた私たちは,ホームステイをするために読谷村へ向かった。今回の研修で最も期待していたホームステイを,ついに体験する時が来たのだと思い,ワクワクする一方で,未熟な日本語能力が心配だった。対面式の会場に到着すると,住民の方々は,私たちのために準備した歌と踊りで歓迎してくださった。読谷村に関する説明を聞いた後,各自のホストファミリーと対面し,家に移動した。私たちのホストファミリーは,青山さんだった。愉快で冗談が好きな青山さんは,韓国ドラマの愛視聴者だった。そのためなのか,自分自身を「陛下」,青山さんの夫人を「禧嬪(ヒビン,第20代朝鮮国王の生母)」と呼んでくれとおっしゃった。思いもしなかったニックネームに,私たちはけらけらと笑い,こうしてホームステイが始まった。家に到着すると,簡単に会話を交わした後,陛下と禧嬪様が夕食の準備をしてくださった。ホームステイ初日の食事は,しゃぶしゃぶだったのだが,韓国の食堂で食べるものよりもずっと豪華に準備をしてくださり,舌鼓を打った。美味しく食事を終えて,就寝準備をした後,雑談をしていたが,翌日のために就寝した。
 ホームステイ2日目は,朝起きてすぐに朝食を食べた。朝も驚くほどの食事を準備してくださり,満腹になるまで食べてから海岸へ向かった。沖縄そばを直接作れる体験をする際に塩水が必要なのだが,その塩水を海から持ってきてそのまま使用するのだという。私が住む済州島にも美しい海があるが,その海水を直接使用できるほど今はきれいではないため,海水を汲みに行った思い出は,今も新鮮な経験として心に残っている。それほどまでに今も沖縄の海はきれいなのだということを実感した。家に帰ってそば生地を作った。食べている時は知らなかったが,美味しいそばを作るためには,大変な努力をしなければならないことが,この時初めてわかった。そばを作っている時,先生方が私たちの家を訪れ,私が直接作ったドーナツを食べて,楽しい時間を過ごした。
 美味しい昼食を食べた後は,少し休んでから沖縄の伝統衣装を着る体験をした。沖縄の着物は,東京で着た着物とは全く異なる感じがした。華麗なのは同じだが,より簡易であるイメージを持った。伝統衣装を着て写真を残した後,沖縄の伝統楽器である三線を学んだ。難しそうだと思っていたが,想像していたよりも,簡単に楽しく演奏することができた。家の中でばかり遊んでいると,陛下がドライブ兼野外活動でもしようと,私たちを連れ出してくださった。最初に行った場所は,サトウキビ畑だった。沖縄では,あちこちで背の高いサトウキビを頻繁に見かける。私たちは,畑でサトウキビをひとつ切り取り、噛んで食べた。甘いスイカのような味がした。サトウキビを食べるのが初めてだったので珍しかった。その後ドライブでは,沖縄の海岸を回った。車から降りて,海岸に出てみんなで写真を撮って楽しい時間を過ごしたが,突然,明日にはホームステイが終わるのだという考えが浮かんできて,胸が詰まる思いがした。とても短い時間ではあったが,しっかりと情が芽生えていることに改めて気づいた。その日の夕食には,禧嬪様もご一緒して,みんなでランタンフェスティバルに行った。家に帰ってきてお風呂に入ろうとした時,陛下と禧嬪様がお呼びになったので向かうと,準備してくださったお別れのプレゼントを私たちにくださった。本当に涙が出そうになったが,ぐっと堪え,感謝の言葉を伝え,ホームステイ最後の夜を過ごした。
 翌日は,読谷村を離れる日であり,朝食を食べて早くに家を出た。2泊3日ながらもすでに情が移っている家を離れなければならず,とても名残惜しかった。集合場所で,これまで離れていた友人たちと再会し,写真を撮っていると,惜別式が始まった。この日が誕生日の友人をみんなで一緒に祝い,三線の演奏に合わせて惜別の踊りを踊ったが,また涙が出そうになった。最後に写真を撮って,2泊3日の間私たちの面倒を見てくださった,読谷村のホストファミリーたちに挨拶をし,バスに乗り込んだ。  読谷村を離れたが,沖縄の日程は終わりではなかった。私たちは,沖縄の代表的な観光地である「美ら海水族館」を訪れた。世界で2番目に大きい美ら海水族館では,多様な海洋生物に出会うことができた。水族館を見学する前に,水族館のバックヤードを見学した。テレビでしか見たことのないバックヤードを実際に見学するというとても貴重な経験ができて,再度今回の研修に参加して良かったと実感した。水族館に入ってからは,感嘆詞をつぶやきつつあちこち見学して回った。その中で最も人気だったのは,やはり,ジンベイザメだった。ここに来るまでジンベイザメに特別な関心を持ってはいなかったが,直接目の前にしてみると,思わず口が開いてしまった。とてつもなく大きな生物が,水槽の中を悠々と回遊している姿を見て,海の中の世界に興味がわいてきた。
 美ら海水族館見学後は,沖縄伝統文化の踊りである「エイサー」を学ぶために移動した。エイサーは,三線を演奏して歌を歌う人と踊りを踊る人,太鼓を利用して踊りを踊る人で構成されていた。ただ座って見学していた時は,「この踊りはそんなに難しいのだろうか?」と思ったが,いざ直接踊ってみると,韓国で時々踊っていたアイドルのダンスよりも難しかった。身振りひとつひとつがきめ細かく,神経を使わなければならないことは,1つ2つではなかった。難しかったが楽しく踊りを学ぶことができた。宿舎に移動しなければならない関係で,私たちに与えられた時間が少なくて残念だったが,いつかまた沖縄を訪れることになったら,再びエイサーを体験しようと心に決め,出発した。  
 研修7日目の朝,私たちは沖縄の大学生と交流するために,「沖縄国際大学」に向かった。学校に到着すると,私たちと同学年の学生たちが,私たちを歓迎してくれた。簡単な紹介と教室内での歓迎会が終わり,現地の学生たちと共にキャンパスツアーをした。私の記憶に残った場所は,図書館だった。沖縄国際大学の図書館は,学生たちが勉強をしたくなるように仕向ける,そんな場所だった。心に残った場所をもう一か所挙げるならば,2004年に大学内にヘリコプターが墜落した事件現場である。墜落現場を見学したが,折れた木の姿は凄惨たるものだった。ようやく米軍基地が沖縄にあるということを実感した。昼食後,沖縄の学生たちとの討論の時間が設けられた。20代ですべきこととしたいことに関して話し合ったのだが,お互い国籍は違えど同じ青春時代を過ごしているからなのか,似た意見が多く出た。発表を終えた後,沖縄の学生たちと夕食の約束をして,大学訪問を終えた。
 私たちは,沖縄での最後の訪問地である首里城を訪れた。首里城は,琉球王国時代に国王たちが滞在した城である。後に知った事実であるが,第2次世界大戦当時,首里城は焼失したものの,1992年に復元されたのだという。首里城を初めて見た時,中国に似た雰囲気を感じたのだが,沖縄は,日本本土よりも台湾が地理的に近く,その影響を受けたものだという。首里城散策を終えて,昼に約束した沖縄国際大学の学生たちと簡単に夕食を食べ,沖縄での最後の夜を過ごした。  
 研修8日目の朝は,沖縄から福岡へ移動しなければならないため,早くから行動した。福岡空港に着いた後は,昼食を食べてすぐにバスに乗り,熊本へと移動した。熊本で最初に入った場所は,熊本県庁であった。そこで昨年4月に発生した熊本地震に関するブリーフィングを受けた。韓国で地震の話を聞いた当時は,気の毒に感じはしたが,詳細な状況を知らなかった。詳細な話を聞いているうちに,被害が深刻であったことがわかってきた。ブリーフィングが終わった後,地震の被害を受けた熊本城を訪れた。私は,地震が起きる前に熊本城を1度見たことがあったため,その時の美しさを覚えていたので,はやる気持ちで城を訪れたが,現在の熊本城は,地震によって無残な姿となり,私たちを迎えた。決して城の中に入ることができないように入り口がふさがれている姿を見て,私の心も崩れていくような気がした。復旧のためには,約20年の時間が必要だという。1日でも早い復旧を祈るばかりである。  
 実質的に研修最終日となる9日目は,「熊本学園大学」を訪れた。学生たちとの討論主題は,韓国と日本の災害についてだった。私たちが話した韓国の災害は,セウォル号事件と,昨年から起きている慶州地震についてだった。熊本学園大学の学生たちが,昨年に熊本地震が起きた当時の経験談を話してくれたのだが,今もその時の恐怖が思い出されるためか,話をしながら涙を流す姿をみて,聞いてしまって申し訳ない気持ちになった。直接地震を経験した当事者たちの気持ちを,わずかながらも理解することができた時間であった。大学散策を終えた後,地震被害をさらに知るために,バスに乗って被害地域を視察した。そこで私は,私が生まれて初めて見る光景を目の当たりにした。地震を経験したことがないだけでなく,地震被害はメディアによってのみ接してきた私は,目の前の倒壊した家々を見た時,全身に鳥肌が立った。どれほど恐ろしかったのか,そのすべてを感じとることはできないが,移動しているうちに,心は沈んでいった。特に,仮設住宅が建てられた場所を視察した時,今も復旧が進んでいないという現実が,私の心を重くさせた。被害地域の視察を終えて,重苦しい気持ちを後に,私たちは大阪へと移動した。ホテルの中に準備された宴会場で,私たちは,みんな一緒に夕食を食べて,成果報告会に参加した。みんな研修を楽しんだようだったが,明日帰らなければならないという現実に直面し,名残惜しさで心がいっぱいになっているようだった。  長いと思っていた9泊10日は,私にとって,よりたくさんの日本を感じる機会を与えてくれた時間であった。日語日文を専攻している私は,これからもっと日本について勉強しなければならないことがわかったし,私の目標を確認することにもなった。
 最後に,長いようで短かった研修の間,本当に苦労された教授,先生,日韓文化交流基金の先生方にこの場を借りて感謝の意を伝えたい。
 
済州大学校 4年生 経済学科 チャン・ヨンフン(張榮訓)
 JENESYS 韓国青年訪問団に初めて申請した時には、とにかく日本に行きたいという考え以外にはなかった。日本に対して知っていることもなく、さらには日本語も出来ずにいたため、個人旅行をすることを想像することすら出来なかった。そんな中、偶然にも日本政府の招へいで韓国青年訪問団を募集するということを知って応募することになった。訪日研修団は全ての経費が無料であると共に多様な施設の視察もする。また、個人旅行では出来ないホームステイと、日本の大学生と交流する機会が与えられ、日本を理解するには本当にいい機会だと思った。しかし、私は日本に行く前、韓日両国間には外交や歴史的に敏感な部分があり、日本人は韓国に対してひょっとして良くない考えを持っているのではないかと心配しながら訪日研修団に参加することになった。結論から言えば、そのようなことは無意味な心配であった。9泊10日間の訪日研修団プログラムは、私に日本という国に対する新たな認識の転換をさせるに至った。  
 まず最初には日本の大学生たちとの交流をあげたい。外国人の友だちが一人もいなかった自分には、初めて外国人の友だちと付き合うことに対して、とてもときめいていたし、日本の大学生たちがどのような考えを持っているのか、些細なこと一つ一つですら知りたかった。最初の大学の明治学院大学から沖縄国際大学、熊本学園大学まで、多くの日本の大学生たちに会いながら感じたことは我が国となんら異なる点のない学生たちだったということだ。日本の大学生たちとはいえ、特別なこともなく、むしろ韓国の学生たちよりも韓国的な子たちもたくさんいたということに驚いた。平日に学校に通いながらアルバイトをして、試験期間には図書館に行って勉強をすること、成績の管理、課題の提出にまで神経を使うことをみると、違和感を全く感じることはなかった。そして日本人の友だちたちの中の韓国語がうまい友だちは、まっさきに私に話掛けてくれて気楽に会話できたのだが、韓国語の出来ない学生たちと対話するときは困難さを感じた。そういう時には短い英語とボディランゲージを使いながら、お互いが会話できるようたくさんの努力をした。年齢が似通っていて共感する点も多く、他の言語も流ちょうに話す友だちたちを見ると、私もまた第2外国語を学ばなければならないという意思がふつふつとわいてきた。最後には討論とゲームをする時間を持ちながら、日本に対する知りたかった点が理解でき、お互いの感情を交流させ、両国間の理解の助けになった。
 今回の交流を通じて韓日大学生間の疎通を通して意味深い時間を過ごせたことはとても良かったことであり、次の出会いを約束した。
 次いで二番目には沖縄でのホームステイだ。日本の一般家庭で2泊3日のあいだ過ごすということはとても特別な経験であり、訪日研修団プログラムの中でも最も記憶に残った。果たして日本の一般家庭はどう過ごしているのか、雰囲気はどうなのか、とても知りたく心が躍った。ホームステイは同じ組になった釜山のチームの友だちと事前に贈り物として何を買うかそれぞれ決めて、胸を膨らませる気持ちでハサメさんのおうちに伺った。幸いに我々の贈り物にはとても満足してくださり、その日の夜は簡単に自己紹介をした後、おいしい晩ご飯を食べて、一日を終えた。その後、沖縄の伝統楽器の演奏、日本文化体験、伝統工芸製作など一つとして欠くことの出来ない貴重な思い出を重ねた。2泊3日という時間はあまりにも短く、ハサメさんのご家族たちと親しくなったころに別れがきた。たとえ国籍と使用する言語が異なっても、人の情は同じであると感じた。2泊3日のあいだ、毎朝おいしい朝ご飯を準備してくださったお母さん、我々に家の周辺にある観光地を見せてあげたいとドライブに連れて行ってくださったお父さん、我々と親しくなりたいと、いたずらをしてきたこどもたちまで、本当に忘れられない人たちに出会って、とてもうれしかった。今回のホームステイを通じて日本の文化に対して直接経験できたことはとてもよく、日本の一般家庭の雰囲気と日本人たちの親切さ、譲り合い、細心の配慮が体の中に深くしみこんでいることを感じられることが出来たことは、本当にありがたく、かけがえのない思い出だ。
 最後に卒業する前に大学生だけが参加することが出来る韓国青年訪問団に応募したことは、本当に良かったという考えに至る。9泊10日間という短くとも長い時間を過ごしながら、遠くて近い国だった日本に対して、これっぽっちも知りうることが出来なかった私に人生で忘れることの出来ない思い出を抱かせてくれ、とても感謝する気持ちになった。訪日研修団を通じて日本文化と歴史、社会、そして一般家庭に人たちが住む姿まで知り得たことは大きな意味があると考える。
 そして一つの国に対するこれだけいい認識を持たせてくれる機会を作ってくれた日本政府と日韓文化交流基金、在済州日本国総領事館の方々に感謝し、今回の研修を通じて知り合った方々と貴重な経験が出来、最高の時間が過ごせたと思う。