韓国青年訪日団参加者感想文(大学生)
平成30年8月9日
7月10日(火)から19日(木)までの9泊10日間の日程で、済州の大学生5名が日本に派遣されました。 参加者は、日本総領事館にて本年4月に実施された一般選考によって選抜されました。 本訪日団は、日本政府が実施する「21世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYS)」の一貫として実施されました。 関西地方の魅力発掘や地域活性化に関する視察、また日本の大学生との交流や地方都市でのホームステイ等、多様なプログラムが準備されました。 今回の日本訪問を通して感じたことを記した、団員たちの感想文を紹介いたします。
済州観光大学校 観光経営学科 1年 オム・ユンビン高校時代からずっと参加したかった「韓国青年訪日団(JENESYS)」の公募が出たとき、ドキドキする思いで志願したのを覚えています。運良く最後の関門である面接審査まで合格した私は、済州の団員たちと一緒にお土産を選び、交流会のある帝塚山学院のみんなに渡す名刺をデザインしながら、日本での研修を心待ちにしていました。そして10日間の日本研修は、思っていたよりもはるかに良い一生の思い出として残りました。その中でも一番記憶に残っている2つの活動を紹介します。・和歌山でのホームステイ 9泊10日間の研修期間中5日目となる日、ホームステイ先の家族との初対面式がありました。事前に受けた案内によると、私が2泊3日の間過ごす家のおじいさんは80歳、おばあさんは77歳と聞き、天気も暑い中4人にもなる私たちが邪魔にはならないだろうかと、とても心配でいました。でも家へと向かう車の中で、色々とすることを提案しながら楽しそうなおばあさんの姿を見て、みんな要らない心配だったと感じるようになりました。その日は家の2階の部屋でぐっすり休みました。次の日の朝、私たちは手芸をしたあとコロッケを作ったり、おばあさんの家族と一緒に海へ行ったりして、1日を送りました。毎食毎にとても美味しい手作り料理を準備してくれ、皿洗いさえもしなくていいと言ってくれるおばあさんの姿、難しいはずのカードゲームを私たちとするために覚える姿…すべての瞬間瞬間、いつも私たちの楽しさと居心地良さだけを考えてくれたおばあさんの配慮に本当に感動しました。短い時間でしたが、解散式のときにはもうおばあさんに会えないかもしれないという思いに涙が込み上げてきて、“もうちょっとおばあさん、おじいさんに何かしてあげれば良かった”という後悔もしました。都市での忙しい暮らしに疲れた現代の学生たちに「休み」を贈ってくれた日韓文化交流基金にもう一度感謝し、2泊3日の間ずっと温かさをくれた‘お母さん’、‘お父さん’とてもありがとうございました!必ずお手紙で挨拶を送ります。 ・帝塚山学院のみんなとの交流会 研修が本格的に始まった2日目、帝塚山学院のみんなに初めて会いました。韓国人とも短い時間で仲良くなるのは難しいのに、日本の子とどうやって仲良くなるかとても不安でしたが、お互いの文化に関心があったからか、みんなとは本当にすぐに仲良くなることができました。鶴橋コリアンタウンでのフィールドワークを共にし、成果報告会をしたことが公式的な交流の最後でしたが、私は日本の子たちと仲良くなり、日程とは別に2回会う時間を作りました。交流を通じて日本の大学生たちの日常に入って一緒に時間を過ごし、話をたくさんしながらみんなの考えをより少し知ることができ、日本で勉強してみたいという思いが芽生えました。別れるとき、手紙を書いてくれた美佳子ちゃんや大粒の涙を流していたセミちゃんのような優しい友達に出会うことができて、本当に幸運でした。友達とは今も連絡を取り合っているのですが、長く付き合える縁になると嬉しいです。 済州大学校 機械工学科 4年 パク・ゴヌ“学びのある韓国青年訪日団”韓国青年訪日団として9泊10日間日本の関西地方に行ってきました。今回の訪日団の目標は、関西地方を訪問し魅力を広報することと、地域活性化を視察することでした。団長から訪日前に課題を出され、勉強が必要でした。移動中、団長からは団員に向けて日本文化に対する説明と共に、私たちが考えられる質問をたくさんされました。正解はないですが、考えを通して、私たちが日本について正しく知れていなかったことや、知らなかった部分をちゃんと知ることができました。行く先ごとに課題で勉強した内容と、団長や通訳の方たちの説明をもとに、日本の文化を豊富に体験することができました。 “普通の旅行とは違う韓国青年訪日団” 訪日団では普通の自由旅行では体験するのが難しい、韓日大学生の交流や日本家庭での2泊3日のホームステイがあります。今回の訪日団では、大阪の帝塚山学院大学を訪問し、韓国語を勉強している日本の学生たちに会いました。みんなはプログラムの時間が終わっても、私たちのために大阪市内を回って見学させてくれました。ホームステイではおばあさん、おじいさんが私たちを待ってくれていました。ホームステイを通して日本の伝統文化である茶道体験をしたり、おばあさんが心こめて作ってくれた日本の家庭料理を味わうことができました。日程が終わり、別れるときは名残惜しさに少し涙を見せていました。 “もう一度訪問したい日本” 9泊10日という時間がとても短いと感じられる程楽しかったです。家に帰りたくないと思う程までに良かったです。日本の子たちと交流した大阪、地震についての教訓を得た神戸、美しい城があった和歌山、今回の訪日団の核心とも思える幻想的な海岸や温泉のある白浜、日本の歴史が見えた奈良まで、関西地方を感じるのにとても十分でした。こんな風に美しい自然景観と伝統、日本の人たちの温かい心をいまだに忘れられずにいます。機会があれば日本にもう一度行きます。日本で良い思い出を作らせてくれた関係者の方たち皆さんに感謝を伝えます。 済州大学校 メカトロニクス工学 1年 チョン・ヘリン2018.07.10~19 9泊10日間日本の関西地方で過ごした韓日研修は夢のようで、より大きな夢を叶えさせてくれる助走のような存在になった。韓国青年訪日団を知ったとき、“これは私のものだ!”と思い、生まれて初めて何かのために熱心に準備した。他の誰よりも活動したかったから今の自分がいるのではないかと考える。約6ヶ月前に大阪・京都旅行をしてきたためか、関西地方訪問にただ嬉しいだけではなかった。その時は3泊4日という短い期間だったが、私が見て経験したことが全てだと感じていたためだ。奈良は見る所がないという韓国人観光客がよく言う言葉に、行ったこともないのに同じ意識を持っていた。しかし「クールジャパンリポーター」の活動がそんな私の根拠ない自惚れをさっぱり取り払ってくれた。研修期間のあいだ私は、食べてショッピングする“普通の”観光客ではなく、何を食べて何を見るのか“分かる”観光客になった。 また歓迎午餐会のおかげで、私は今特別な理由で日本に来ているんだなと思いながら、訪日団として責任感も強くなった。単純に日本の歴史と文化を見て聞いて体験してそれで終わりか?いや違う。訪日団では本当の日本を感じるために日本の大学生たち、またホームステイ活動を提供してくれ、一日の日程が終わったあとも十分な自由時間を与えてくれ、各自日本文化に接することができるようにしてくれた。 自由時間に私は帝塚山学院大学の学生たちとまた会い、お互いの言葉を教え合い、文化を共有した。私はついさっき習った日本語会話をすぐ忘れ、友達は発音が上手くいかず、一緒に笑った。次会うときは勉強をもっと頑張ってお互いを驚かせようと約束した。また違う日には高校の同級生に3年ぶりに会うことになった。SNSを通じて文字でだけ「奈良に行ったら必ず連絡する」と言っていた私が、今回の活動のおかげでその友達に会うことができた。会えてとても嬉しかったし、信じられなかった。奈良に住んでいるその友達は、一日もない短い時間のあいだ、奈良の名所や歴史等について紹介してくれた。とても暑かったためおすすめしてくれたカフェに行ったのだが、日本の家庭を改造した珍しい造りで、また今度来ようと思った。韓国人観光客からして、奈良は鹿しかいなく小さいため、いっそ他の所を長く見た方がいいと言うが、実際行ってみると奈良は空が本当に綺麗で静かなため、とても魅力的なところで私とよく合った。その日の空と雰囲気は忘れることができないだろう。別れるときはその友達が私から見えなくなるまで手を振った。初めて日本に行ったときに良い礼儀文化だと思ったのがこの挨拶だったのだが、それを実際にしていて、小さなことだけどこうやっても礼儀文化を行うことができるのだと思った。 その他にも日本の文化体験と視察がこんなにも興味深いものだとは思っていなかった。同じ班の日本出張によく行くお姉さんのおかげで、側でよりたくさんの情報を知ることができた。そして阪神淡路大震災災害記念館の訪問時に深く感じた点が多かった。楽しくて不思議な日本の文化や食べ物を楽しみつつも、一方で地震災害について間接的に体験しながら涙も流し、地震被害をなるべく予防するために常に構えた姿勢でいなければとも思った。 最後に、温泉に行く機会が多くて幸せだった。疲れた体を癒やすために温泉によく入ったのだが、懐石料理まで食べられてより満足だった。想像以上の思い出を作ってくれた「韓国青年訪日団」。本当にありがとうございました。少しの間思い出に浸って抜け出せなさそうだ。日本の文化をより知るために24歳までに日本へワーキングホリデーしに行く、と考えだけあった私は、来年のこの時期くらいに行くと決めた。そのために日本語の勉強もしている。訪日団になりたいという夢を叶え、より大きな夢を持たせてくれた訪日団、ありがとうございます! 済州大学校 海洋土木工学科 3年 アン・ジュンヒョン切実に願っていた韓国青年訪日団のプログラムに合格し、出発日が近づくにつれ一日一日がわくわくした。心待ちにしていた出発日になり、ドキドキする思いで他の団員たちとぎこちなく挨拶をし、日本の関西空港へと向かった。何しろ飛行機に乗ると疲れる性格なため、疲れた状態で到着した。しかし大阪に着いたと考えると疲れもすぐに飛び、心がうきうきした。そうやって本格的な9泊10日の訪日体験が始まった。プログラム日程について簡潔にいうと、新鮮だった。日本旅行によく行くときは、特に期待はしないのだが、今回の10日間は毎日が新しかった。普通の旅行ではなかなか接することができない韓国語の落語、日本の現地大学生との直接的な交流活動、忘れられない2泊3日のホームステイ、白浜訪問、各種体験がそうだった。その中でもホームステイ活動が一番記憶に残っている。温厚なおばあさん、おじいさんと、造りは古いが自分の家より落ち着いた雰囲気の家、町の小さな伝統祭り、美味しいご飯等々、誰がこんな体験をすることができるだろうか?プログラムの日程一つ一つが主催側で本当に熱心に準備されていることを常に感じた。 また今回の訪問で日本の人たちに対する認識がより良くなった。時々私たちは日本人について話すと、多くの人がこんな話をする。表では笑っているが裏では違う、と。自分も直接感じたことはないが、もしかすると漠然とそう思っていたのかもしれない。だが今回の経験で、そんな考えは微塵もなくなった。人々は親切で、韓国人より品格が高い人が多かった。知らない人に道を聞いても、最後まで一緒に探してくれたおばさん、日本の大学生との交流で、短い期間でも真心が感じられた人たち、上に書いたホームステイの家庭など、私が会った日本の人たちはみんな真心が感じられて、学んだ点が多かった。 初めは9泊10日という日程が長いと思っていたが、時間が過ぎるにつれ、名残惜しい気持ちだけが大きくなり、それほどにプログラム中の時間がとても価値あるものだった。きっと団員のみんなもそう思っているだろう。韓国を出発するとき、領事館の関係者の方が言っていた言葉が思い出される。行って本当に良い思い出ができ、忘れられないものになるだろう、と。その言葉を聞いたときはなんとも思っていなかったが、日程の終わりが近づくにつれ、その言葉が正しかったんだと思うようになった。これから生きていきながら色々な事があって、その分忘れることも多いと思うが、今回の10日間の訪日体験は忘れられないと思う。そこで出会ったすべての縁がとても大切に思えた。 最後に、私をこんな良いプログラムに送ってくれたすべての方たちに本当に感謝の言葉を伝えたい。団員たちと一緒に回って、暑くてもいつも笑顔で引っ張ってくれた清水さん、木村さん、そして裏で支えてくださったすべての方たちに感謝しています。もし誰かがこの感想文を読んで、訪日団プログラムに応募しようか迷っていたら、必ずこう伝えたい。絶対に合格して行ってくるように、と。 済州大学校 経営学科 2年 ビョン・ソヨン一期一会。今回の訪日研修期間のあいだ、心の中に刻んでおいた言葉だ。「一期一会」とは一生にたった一度の出会い、またはあることが生涯にたった一度であることを表す言葉だ。この言葉は通常「人」との出会いであったり、ある「出来事」に対面したとき、それがその人の人生にたった一度しかない機会だと考え、貴重かつ真摯な姿勢で今自分ができるすべての誠意を尽くせという意味で使われている。9泊10日間、一日一日を送りながら一生に一度しかない機会だと考え、すべてのことを記憶し、心に刻もうと努力した。訪日研修活動中、一つ目の貴重な縁は帝塚山学院大学の学生たちの出会いだ。私は日本語が未熟なため日本人学生との交流を心配していたが、帝塚山学院の学生たちは韓国語がとても上手だったため、言語が違うという点は大きく問題にはならなかった。他の地域を行ったり来たりしていた歴代の訪日研修団とは違い、今回は関西地方を集中的に探訪し、自由時間が多く与えられたため、帝塚山学院の学生とより多く交流することができた。決められた日程外にも自由時間のあいだに会って、道頓堀や天王寺、大阪港など大阪で行ってみたかった所を一緒に回ることができた。最後に別れるときは涙が出るほどに情が深まっていた。韓国は休みが明けるが、日本ではまだ夏休み中の9月に韓国に旅行しに来ると言うので、そのときにまた必ず会おうと約束した。 二つ目の貴重な縁は、和歌山県でのホームステイだ。私は日本語があまりできず、お母さんとお父さんは韓国語を知らなかったので、意思疎通のためには他のチーム員の助けやボディーランゲージが必要だった。しかしお母さんとお父さんが私たちをとても配慮してくれているというのは感じることができた。外の気温がとても高かったので、私たちは室内でビーズ工芸やミシンなどの手芸をした。そしてコロッケも手作りで作ってみた。日がある程度沈んでくると、砂利の海岸で夕日が沈むのを見ながら良い時間を過ごした。「もらった食べ物は残してはいけない」という日本の食事マナーに不安だったが、余計な心配だった。おかずひとつひとつがとても美味しくて、毎食お皿をきれいに空けて、お母さんはずっとおやつをくれた。2泊3日間共にし、別れる時間が来ると涙が出た。「病気しないで元気でいてください」、「韓国に帰っても必ず連絡します」などの言葉を伝えたかったが、私が知っている日本語は「元気でいてください」しかなかった。日本語が足りないという名残惜しさが大きく残り、日本語を勉強しようという決心をした。日本語を習って一年に一回でもお母さんとお父さんに手紙を書きたい。 単純に一回で終わる縁ではなく、ずっと続いていけるよう努力するつもりだ。そしてこのような縁と思い出を作ることができた9泊10日を絶対に忘れられないと思う。 |