韓国青年訪日団参加者感想文(大学生)
平成29年9月25日
7月19日(水)から28日(金)までの9泊10日間の日程で、済州の大学生9名が日本に派遣されました。
参加者は、日本総領事館にて5月に実施された一般選考によって選抜されました。
本訪日団は、日本政府が実施する「21世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYS2017)の一貫として実施されました。
東京、長崎、福岡等での日本の大学生との交流、地方都市でのホームステイ等、多様なプログラムが準備されました。
今回の日本訪問を通して感じたことを記した、団員たちの感想文を一部紹介いたします。
面接の時、訪日青年団に選ばれたら何をしたいかとの質問に対し、日本語が全く話せないので日本語の会話を勉強したいと答えた。合格メールを受け取った後、すぐに日本語会話の本を一冊購入したのだが、漢字にひらがな、カタカナという文字は、なんともとっつきにくく、勉強を始めてみたものの、すぐに放棄してしまった。その結果、9泊10日の日本研修の間、わずかの勉強で諦めてしまった自分を恨むことになった。文化を体験するために外国を訪れたのに、文化の最も基本である言語を知らないということは、自分にとってとても大きなマイナスになったように思う。
合格メールを受け取った初めの頃は、あまり実感が湧かなかったが、パスポートを新しく発給してもらい、書類を作成していくうちに、「本当に日本に行くんだ」と、ようやく思い始めたのだった。待ちわびたオリエンテーションの日になり、一緒に日本へ行く人々と初めて会い、日程の説明を受け、日本という国について調べてみることも多くなっていった。宿泊する東京ドームホテルがどんな場所なのか、目白大学はどんな学校なのか、日本の温泉旅館や佐世保がどんな場所なのかについて検索しながら、何も知らなかった日本のことを少しずつ学んでいった。日本について特別な関心を持ってはいなかった私が、日本について自ら調べるようになったのである。良い変化だった。
ついに9泊10日間の日本研修の初日が訪れ、済州国際空港の国際線エリアに集合した。はじめはやや気まずかったが、すぐに参加者同士仲良くなった。同じ大学に通いながらも出会うことの無かった多様な学科の人たちを知ることができることは、この研修の良い点だと思った。金海国際空港でプサンチームも合流した後、成田国際空港へと向かい、入国審査を受けて引率の先生方に会い、最初に東京スカイツリーへと向かった。
電波塔ということがとても不思議だったが、世界で最も高い電波塔から見下ろす東京は、本当に美しかった。余裕をもって観光できたらもっと良かったのだが、先に来た人々が待っていたため、急ぎ足で見て回り、325年の歴史を持つ豆腐料理専門店「笹之雪」へ向かった。豆腐が得意ではないので、豆腐を好きになる初めての日になるのではないかと期待したが、結局あまり好きに離れなかった。しかし、料理に多彩なストーリーがあり、豆腐でこんなものも作れるのかと思わされる、究極の(?)豆腐料理を見た気がした。昔とある貴族が、あまりに料理が美味しいのでその料理を2皿くれと要求し、以後、同じ料理が2皿出ることになったという話を覚えている。しかし、私にとって最も美味しかったのは、豆腐アイスクリームであった。
食事を終えた後、3日間宿泊する東京ドームホテルに向かった。済州チームの先輩たちと話したのだが、東京ドームホテルは、9泊10日間の宿舎の中で最も良いホテルであり、また来たいと思えるホテルであり、ホテルの中では一番記憶に残った場所である。部屋の中から東京ドームホテルと東京ドームシティが一望でき、夜に済州チームだけで東京ドームの前でお菓子とビールを飲んだ、そんな思い出がたくさんできたホテルだった。
2日目は、日本の大学を訪問し、日本の学生たちと交流をすることが最初の日程であった。私たち第2団は、目白大学に行くことになった。私たちが到着すると、韓国の国旗と日本の国旗を持った学生たちが出迎えてくれた。目白大学には韓国語学科があり、その学科の学生たちと様々な話をすることになった。お互いの文化について討論し、発表する時間があったのだが、韓国語学科に入った学生なだけに、韓国への関心が強いことを感じた。話し合う中で、日本で流行している韓国文化として、メイクアップやファッション、化粧品等が挙げられた。一方で、韓国で流行している日本文化もまた、メイクアップやヘアースタイル、化粧品、アニメーション等が挙がった。私たちのグループの発表時、友達が述べた言葉が記憶に残っている。「日本の学生のポーチには韓国の化粧品が、韓国の学生のポーチには日本の化粧品がある」という言葉だったのだが、確かに、私も日本についてよく知らず、特別な関心を持ってはいなかったにも関わらず、使う化粧品のほとんどは日本の化粧品であった。このように、日本と韓国は知らず知らずのうちに、お互いの文化に溶け込んでいるのだと思った。日本の学生たちと連絡先を交換し、後ろ髪をひかれつつ大学を後にして、長崎県の魅力紹介と地方活性化に関する講演を聞くため移動した。
サカグチ長崎県国際課課長補佐が講演してくださり、長崎県が減少している人口と高齢化にどう対応しようとしているのか、若者たちをどのように誘致しようとしているのか、最終的にこれらを通じて長崎県をどのように活性化させようとしているのかに関する内容だった。高齢化と若年層が減少している点が、韓国の問題と同じだと思った。講演が終わった後、日韓文化交流基金が準備してくださった歓迎晩さん会に参加した。前菜にはじまり、食前パン、魚と肉のメインディッシュ、 そしてデザートに至るまで、本当に美味しいコース料理が出てきて、この研修の中で最高の料理だった。今振り返ってみると、日本料理は概してコースで出てくるようだ。初めは量が少ないと思ったのだが、デザートまで食べるととても満腹になった。また、この時ホームステイ先のホストファミリーとの対面式のために準備していた演歌、「長崎は今日も雨だった」を歌ったのだが、面白い思い出となったように思う。
3日目は、浴衣を着て「まるごとにっぽん」を視察した。実際に浴衣を着てみる前までは、「ただ羽織って紐を巻けばいいだけでしょ?」などと思っていたが、職員の方にマンツーマンで着付けを手助けしてもらいながら、そんな考えは消えていった。思っていたより服が複雑で、使う紐も多かった。服を着終えて髪型まで整えてもらい、好きな履物と鞄を選んで外に出た。日本のアニメーションで浴衣を着て祭りに行く姿をよく見るが、その浴衣を実際に着ていることが不思議に感じて、良い経験になった。写真もたくさん撮りながら観光したのだが、浴衣を着て歩く日本人の方も多く、また、おみくじ等もあり、アニメーションで見た日本の風景が広がっていた。TVの中のシーンは、演出のために作り出されたものではなく、本当に日本の人々の日常だったのだ、と実感した。
自由見学を終えた後、築地魚市場に直送の寿司定食を食べに行った。日本で寿司を食べることは、期待していた日程のうちの1つだった。セット寿司が一人一人の席ごとに並べられた。私は元から寿司が大好きだったので、本当に美味しく頂いた。昼食後に自由時間が設けられたので、済州チームの先輩たちと市内を見て回った。私は、日本語が全くできないのでみんなの役に立つことができず、ついて行くだけだったが、先輩たちは日本語も上手で、ルートもきちんと調べてくださり、とても快適に観光することができた。列に並ぶまでして有名なうどん店で夕食をとり、ショッピングもした。東京は、ソウルとかなり似ていると思った。
4日目は、ホストファミリーと対面する日であり、羽田空港から長崎空港へと飛行機に乗って移動した。南島原という独特な名前の地域に移動したのだが、風景が美しかった。昼食のビュッフェを食べてから2時間ほどバスで移動し、ついにホストファミリーに会うことになった。日本に来る前には、最も期待していた日程のうちの1つであったが、日本で数日過ごすうちに、最も心配な日程にもなっていた。言葉の面から来る不安がかなり大きかった。英語もほとんどできない方々と会話をすることができるのか、会話ができなければ2日間どうすればいいのか、かなり心配したのだが、ホームステイ当日、一緒にホームステイをする仲間が、みんな日本語が上手だったので一安心した。ホストファミリーとして面会したおじさんとおばさんは、2日間、私たちを本当の家族のように迎えてくださった。ホームステイ期間が、日本の文化を最も近くで知ることができた時間だったように思う。帰宅をしたら「ただいま」と挨拶をする、靴は外向きにして整理する等、些細なことからも日本を感じることができた。最も心に残ったことは、日本の家庭料理だった。特別に美味しいものを作ってくださったのかもしれないが、素朴ながらも多彩な料理がとても美味しかった(済州島でたこ焼きを初めて食べた時、とても好きにはなれなかったのだけど、ホームステイ中にたこ焼きを作って食べてみて、たこ焼きを好きになりました…)。食事だけでなく、おじさんは、二度と経験できないような素敵な思い出も残してくださった。船の上から見る花火や、小さな温泉に行ったこと、そしてそこの露天風呂から花火を見たこと。おじさんの孫のかわいいオオシロくんとユノワちゃんの思い出や、ボートレースで投げてくるお菓子を捕った思い出等、その時の写真を見ると、自然と笑顔になってしまう。そんな幸せな思い出がたくさんできた。
6日目は、ホームステイ解散式があった。ホームステイを始める前は、言葉も通じないのに別れを悲しく思ったりしないだろうと思っていた。しかし、実際に別れの瞬間が訪れると、とても悲しくて名残惜しかった。日本語の勉強をほとんどしなかったことを最も後悔したのはこの時で、感謝の言葉と「いつまでもお元気で」という言葉を日本語で伝えることができなかったことが悔やまれた。おじさんとおばさんが、最後の日の夜にプレゼントとしてお菓子を下さり、「カワムラ」と包装紙の上に書いてくださった。ここでの思い出を忘れないでねとおっしゃったのだが、帰国してから1週間が過ぎた今も、私はプレゼントの包装紙の封を切れずにいる。
6日目は、ホームステイの解散式に続いて、日本の伝統を体験する日であった。島原城や武家屋敷通り等、漫画の「大望」に出てきそうな、武士たちの家と城を見学した。この日は、地産地消メニューの昼食と夕食を食べた。地産地消とは、地域の生産品を地域で消費するという、ローカルフードのような概念の単語だった。地域性が出る食事で、とても美味しく頂いた。昼食を食べた後は、雲仙ロープウェイに乗ったのだが、霧が多くて外が見えなかった。しかし、それはそれで神秘的だった。雲仙ロープウェイ体験を終えた後、日本の温泉旅館を体験するため移動した。そこは硫黄温泉であった。
旅館の近くには、雲仙地獄等、様々なものがあったのだけど、地面から煙が立ち込めてくるのを見て、日本にいるということを改めて実感した。地産地消メニューの夕食後には、先輩たちと温泉に行ったのだが、硫黄温泉なので金属のアクセサリーを身に着けずに入らなければならなかった。硫黄温泉だからなのか、水がとてもすべすべしていて、硫黄の臭いもした。私は温泉がとても好きなのだが、夏なので暑くて長く浸かっていることができなかった。興味深かった点は、毎日男風呂と女風呂が入れ替わるという点だった。朝早くに起きて、昨日の男風呂だった女風呂にも行ってみようと思ったのだが、眠くてとても実行できなかった。
7日目は、長崎で長崎ちゃんぽんを食べる日だった。長崎市内へ移動し、1899年創業の長崎ちゃんぽんの元祖「四海樓」にてちゃんぽんを食べた。今まで長崎ちゃんぽんとはヒリヒリした辛い唐辛子の味がポイントだと思っていたのだが、実際に食べた元祖長崎ちゃんぽんは、辛味のない淡泊な味であった。私には、ちゃんぽんには辛い味がよく合っていると思えたし、他の仲間もこれに同意していた。偽物が本物に勝った例と言えるだろうか?その次は、長崎平和公園と長崎原爆資料館を見学した。6日目に日本のガイドの方が説明したものを、通訳を経由して聞いたため、あまり理解することができなかったのだが、今回は韓国の方が説明してくださったので、たくさんのことを学ぶことができた。最も記憶に残ったことは、あちこちにある噴水等の、水に関連した造形物である。これらは、当時被爆した人々が「喉が乾きすぎて耐えられない」という言葉を共通して発したため、これを慰霊するべくあちこちに設置されているのだそうだ。政治的には問題があるかもわからないが、人々ひとりひとりに目を向けると、本当に胸が痛む。再びこのようなことが起きなければいいなとの願いを抱いた。
8日は、佐世保に移動して陶磁器の生産地域を視察した。この日は本当に暑くて、ほとんど溶けながら行動した。坂道に建てられた家々は、釜山の甘泉文化村のようだった。昼食は、九州グルメグランプリ2位の佐世保バーガー本店で食べた。ハンバーガーがとても大きくて食べるのが大変だったが、美味しかった。本店は、森の中のような自然の中にあり、建物も木造建築で、ファストフード店で食べるハンバーガーとは違う印象を持った。食事を済ませ、展海峰展望台を視察した後に、自由時間が設けられた。韓国であれば本格的に営業が始まる時間である7時30分にも関わらず、ほとんどの商店がまだ閉まっていて、少し戸惑ったことを覚えている。
9日目は、研修期間最後の日であり、一番エンターテイメントな日程が詰まった日だった。ヨットセイリングとシーカヤックを体験し、九十九島水族館海きららでイルカショーも観た。特に、昼食で食べたレモンステーキが本当に美味しかったのだが、やや韓国的な味がしたからだろうかと思った。夕方には福岡に移動し、成果報告会をしたが、各組が研修について、そして今後のアクションプランについて発表する時間が設けられた。聞いていると、本当に研修が終わるのだなと思い、名残惜しく、日本についてもっとたくさんのことを学んでいこうと思った。夕食は、名残惜しさから済州チームの先輩たちと福岡市内を見て回ったのだが、東京のように発展していたが、また東京都は違った静かな魅力が福岡にはあり、とてもよかった。ソウルの弘大みたいな感じがした。今日が先輩たちと一緒に食べる最後の食事だなんて信じられないね、と話し続けた。
研修最後の日は、別れの日だった。仲良くなった釜山の友人たちと、引率してくださった先生方と、惜別の言葉を交わした。9泊10日がいつの間に過ぎたのかと思うほどに、あっという間に過ぎていき、そこには、とても幸せで楽しかった思い出がたくさん残った。日本がどんな国なのかと言えば、とても魅力的な都市がいくつもある国だと言えるだろう。それぞれの都市ごとに感じられるものが異なり、西洋は勿論、東洋とも違った独自の文化を作り上げている日本で、魅力を感じないわけがない。また、時間を共にした多くの素晴らしい方々に出会えたことも、素敵な思い出になった。
日本の文化の中で最も記憶に残っていることは、「言語」だった。10日間に渡って私を悩ませ続けたが、それだけ日本語が魅力的だった。10日間を終え、私は必ず日本語を学ぼうと決心した。その国の言語で、その国とコミュニケーションが取れなかったことは、研修において最も後悔していることである。済州道に戻ってきた今は、来年の2学期に日本の大学へ交換留学するための準備のため、日本語の語学塾に登録した。10日間に渡り私が経験してきた日本は、心からまた行きたいと思える国だった。だから次回は、しっかりと準備をして日本を感じてみたい。研修が始まる前のオリエンテーションの時、教授が「今回の研修が、人生を変える機会となるかも知れない」とおっしゃった。今回の研修は、本当に私の人生を変えた機会となったようだ。
このような機会を下さった在済州日本国総領事館、そして9泊10日間、本当に素晴らしい案内をしてくださった引率の先生方と教授方に、心からの感謝を伝えたい。
まず私たちは、東京の目白大学を訪問し、目白大学韓国語科の学生たちと面会し、交流をしました。友達になった日本人のユカ、マリナ、アイナ、マヤカさんと共に、韓国と日本の共通点と相違点をテーマにグループ討論を行い、私たちは互いに違いはなく、多くの点で共感しているということを知ることができました。
翌日は、浅草で浴衣に着替え、浅草寺を見て回りました。自由時間は、学生たちに自律的に見て回る機会を提供してくださり、各自が考える日本を体験することができた素晴らしい時間でした。ある人は渋谷駅でフリーハグを行い、またある人は日本人の友達に会いに横浜まで行き、さらに別の人は東京の繁華街を歩き、各自異なった方法で良い思い出を作ることができました。
3日目は、長崎に移動し、南島原市でのホームステイを通して日本人の生活を体験しました。初めのうちは、ホームステイ中、日本語ができずに意思疎通に苦労するのではないかとかなり心配しました。しかし、言語よりも、互いの気持ちが疎通をする際にもっと重要であるという事実を知ることができました。ホストファミリーのお父さんとお母さんが、私たちを実の子のように扱ってくださり、私たちは、たくさんの愛情をもらうことができました。朝、近所の神社で面白い経験をして、昼に渓谷へ行き渓谷の滝の下で水遊びもして、お母さんが買ってくださったかき氷を食べたりもしました。そして私たちは、たっぷりと用意してもらった夕食の前で、日本の相撲の放送を見て、くだらない話をしながら夜を明かしました。ホームステイの解散式では、一緒に過ごした時間はとても短かったけれど、まるで旧知の仲であったかのように、目に涙を浮かべながらまた会うことを約束し、惜しみながら別れました。ホームステイの経験は、忘れることのできない思い出のひとつになりました。
雲仙市では、旅館に宿泊し、一晩の間に3回も露天温泉を体験するという、一味違った経験をしたりもしました。長崎平和公園と原爆資料館を訪れ、私たちは、原子爆弾が落ちた11時2分の瞬間に行くことができました。その日、長崎の時間は止まりました。原爆落下の中心地で空を見上げ、その時犠牲となった無辜な日本人たちと韓国人たちを追悼し、再び平和について考えてみる機会となりました。その他にも、魅力的な日本を見て回り日本人たちの親切さに触れ、また、多彩な体験活動と美味しい食事を経験し、福岡で成果報告会を終えて、今回の研修が終わりました。
研修が始まる前は、ゆっくりと進んでいた時計の針が、終わりに向かって走りだしたかのように、名残惜しさを残して時間が次々と流れていきました。韓国青年訪日団は、夢を持った青少年たちに素敵な機会をくださったのだと思います。韓国青年訪日団という9泊10日間の研修は終わりを迎えましたが、ここでの学びは、私たちの日常の中に浸透し、参加者たち各自の心の中で、自身の夢に向かって歩んで行くための良い基盤になっただろうと信じています。今回の研修の間、たくさん苦労されたであろう日韓文化交流基金関係者の皆様や、在済州日本国総領事館関係者の皆様等、関係したすべての方々に感謝申し上げます。
日本で偶然出会った韓国青年訪日団第2団、目白大学の友人たち、ホームステイの家族の方々たちといった素敵な人の縁と、彼らと共に過ごした時間を、胸の中に大切にしまっておこうと思います。
東京では、目白大学を訪問したことが最も記憶に残っています。日本の大学生に会う機会は滅多にありませんが、どの学生も韓国文化を愛してくださり、また、韓国語がとても上手だったので、難なく意思疎通をすることができました。みな同様に特定のテーマを設定し、両国の意見を聞いての討論ができたことがとても良かったのですが、真面目に討論していても、芸能人の話が挙がると盛り上がってしまう姿に、国が違えど間違いなく皆同じ学生なのだ、と実感することができました。短い時間でしたが、友情が芽生え、別れるときには名残惜しく感じました。再会を約束し、韓国へ帰ってもSNSを通じて連絡していくことになった素晴らしい友人もできました。こうして日本の学生と会ってみることで、両国の関係が、今後もっと友好的になっていくかもしれないとの期待感を持つことができました。
最も印象深かった体験は、長崎県南島原での2泊3日間のホームステイでした。私が日本に行くとしたら一番経験してみたかった日本の静かな「美」を、ホームステイの間、心行くまで体験することができました。私が着いた日は、運よく村祭りの日で、祭りを見に行ったのですが、自由旅行やパッケージ旅行では来ることのできない空間に自分は立っているのだと思うと、とてもわくわくしましたし、価値ある時間になりました。日本映画でのみ見たことのある「金魚すくい」をする子どもや、浴衣を着て祭りを楽しむ女子高生も観ることができました。祭りが終わる頃に、打ち上げ花火をみんなで見ながら、短い時間ながらも情が湧いてきて、家族のような連帯感を感じることができました。また、日本の家庭で生活してみることで、韓国と日本の同じようで異なる小さな違いをより深く体験することもできました。ホストファミリーのおばさん、おじさんと夕食を食べて、一緒に散歩をして、祭りを楽しみながらも、同じようで異なる文化を経験することになりました。また、経験し体感するだけでなく、さらに進んで、お互いの違いについて話をし、その違いの距離を狭める努力をすることができました。韓国に帰ってもいつまでも忘れることのできない貴重な思い出と経験になりました。
今回の研修を通して、日本が自国の魅力の向上と発信に多方面で努力していること、そして、それだけ自国の魅力に自信があるということが印象深かったです。私もまた、その魅力にはまった一人の人間として、韓国へ戻ってからもこの感情を多くの人々と共有し、また、韓国の魅力もこのように伝えることのできる人にならなければならないと思いました。
参加者は、日本総領事館にて5月に実施された一般選考によって選抜されました。
本訪日団は、日本政府が実施する「21世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYS2017)の一貫として実施されました。
東京、長崎、福岡等での日本の大学生との交流、地方都市でのホームステイ等、多様なプログラムが準備されました。
今回の日本訪問を通して感じたことを記した、団員たちの感想文を一部紹介いたします。
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済州大学校建築学科 パク・ガヒョン
帰国してから一週間ほどが過ぎたけれど、今もその時を思い浮かべると、一日一日すべてが鮮明に蘇ってくる。出会った人々、過ごした街、その時の風景と交わした会話のすべてが、まるで昨日の出来事のように思える。「韓国青年訪日団」というプログラムは、大学の教授を通じて知ったのだが、教授が教えてくださった当時、私は日本についてほとんど知らず、私がこのプログラムに選ばれるのかどうか確信が無かった。アメリカの文化や言語ならば、接する機会が多かったので慣れていたものの、かえって近い隣国である日本については、ほとんど知らなかったため、漠然とした怖さもあった。選ばれないのではという私の心配とは裏腹に、合格のメールが届いた時、私は学校にいたのだが、あまりに嬉しくてすぐさま両親に電話したことを覚えている。面接の時、訪日青年団に選ばれたら何をしたいかとの質問に対し、日本語が全く話せないので日本語の会話を勉強したいと答えた。合格メールを受け取った後、すぐに日本語会話の本を一冊購入したのだが、漢字にひらがな、カタカナという文字は、なんともとっつきにくく、勉強を始めてみたものの、すぐに放棄してしまった。その結果、9泊10日の日本研修の間、わずかの勉強で諦めてしまった自分を恨むことになった。文化を体験するために外国を訪れたのに、文化の最も基本である言語を知らないということは、自分にとってとても大きなマイナスになったように思う。
合格メールを受け取った初めの頃は、あまり実感が湧かなかったが、パスポートを新しく発給してもらい、書類を作成していくうちに、「本当に日本に行くんだ」と、ようやく思い始めたのだった。待ちわびたオリエンテーションの日になり、一緒に日本へ行く人々と初めて会い、日程の説明を受け、日本という国について調べてみることも多くなっていった。宿泊する東京ドームホテルがどんな場所なのか、目白大学はどんな学校なのか、日本の温泉旅館や佐世保がどんな場所なのかについて検索しながら、何も知らなかった日本のことを少しずつ学んでいった。日本について特別な関心を持ってはいなかった私が、日本について自ら調べるようになったのである。良い変化だった。
ついに9泊10日間の日本研修の初日が訪れ、済州国際空港の国際線エリアに集合した。はじめはやや気まずかったが、すぐに参加者同士仲良くなった。同じ大学に通いながらも出会うことの無かった多様な学科の人たちを知ることができることは、この研修の良い点だと思った。金海国際空港でプサンチームも合流した後、成田国際空港へと向かい、入国審査を受けて引率の先生方に会い、最初に東京スカイツリーへと向かった。
電波塔ということがとても不思議だったが、世界で最も高い電波塔から見下ろす東京は、本当に美しかった。余裕をもって観光できたらもっと良かったのだが、先に来た人々が待っていたため、急ぎ足で見て回り、325年の歴史を持つ豆腐料理専門店「笹之雪」へ向かった。豆腐が得意ではないので、豆腐を好きになる初めての日になるのではないかと期待したが、結局あまり好きに離れなかった。しかし、料理に多彩なストーリーがあり、豆腐でこんなものも作れるのかと思わされる、究極の(?)豆腐料理を見た気がした。昔とある貴族が、あまりに料理が美味しいのでその料理を2皿くれと要求し、以後、同じ料理が2皿出ることになったという話を覚えている。しかし、私にとって最も美味しかったのは、豆腐アイスクリームであった。
食事を終えた後、3日間宿泊する東京ドームホテルに向かった。済州チームの先輩たちと話したのだが、東京ドームホテルは、9泊10日間の宿舎の中で最も良いホテルであり、また来たいと思えるホテルであり、ホテルの中では一番記憶に残った場所である。部屋の中から東京ドームホテルと東京ドームシティが一望でき、夜に済州チームだけで東京ドームの前でお菓子とビールを飲んだ、そんな思い出がたくさんできたホテルだった。
2日目は、日本の大学を訪問し、日本の学生たちと交流をすることが最初の日程であった。私たち第2団は、目白大学に行くことになった。私たちが到着すると、韓国の国旗と日本の国旗を持った学生たちが出迎えてくれた。目白大学には韓国語学科があり、その学科の学生たちと様々な話をすることになった。お互いの文化について討論し、発表する時間があったのだが、韓国語学科に入った学生なだけに、韓国への関心が強いことを感じた。話し合う中で、日本で流行している韓国文化として、メイクアップやファッション、化粧品等が挙げられた。一方で、韓国で流行している日本文化もまた、メイクアップやヘアースタイル、化粧品、アニメーション等が挙がった。私たちのグループの発表時、友達が述べた言葉が記憶に残っている。「日本の学生のポーチには韓国の化粧品が、韓国の学生のポーチには日本の化粧品がある」という言葉だったのだが、確かに、私も日本についてよく知らず、特別な関心を持ってはいなかったにも関わらず、使う化粧品のほとんどは日本の化粧品であった。このように、日本と韓国は知らず知らずのうちに、お互いの文化に溶け込んでいるのだと思った。日本の学生たちと連絡先を交換し、後ろ髪をひかれつつ大学を後にして、長崎県の魅力紹介と地方活性化に関する講演を聞くため移動した。
サカグチ長崎県国際課課長補佐が講演してくださり、長崎県が減少している人口と高齢化にどう対応しようとしているのか、若者たちをどのように誘致しようとしているのか、最終的にこれらを通じて長崎県をどのように活性化させようとしているのかに関する内容だった。高齢化と若年層が減少している点が、韓国の問題と同じだと思った。講演が終わった後、日韓文化交流基金が準備してくださった歓迎晩さん会に参加した。前菜にはじまり、食前パン、魚と肉のメインディッシュ、 そしてデザートに至るまで、本当に美味しいコース料理が出てきて、この研修の中で最高の料理だった。今振り返ってみると、日本料理は概してコースで出てくるようだ。初めは量が少ないと思ったのだが、デザートまで食べるととても満腹になった。また、この時ホームステイ先のホストファミリーとの対面式のために準備していた演歌、「長崎は今日も雨だった」を歌ったのだが、面白い思い出となったように思う。
3日目は、浴衣を着て「まるごとにっぽん」を視察した。実際に浴衣を着てみる前までは、「ただ羽織って紐を巻けばいいだけでしょ?」などと思っていたが、職員の方にマンツーマンで着付けを手助けしてもらいながら、そんな考えは消えていった。思っていたより服が複雑で、使う紐も多かった。服を着終えて髪型まで整えてもらい、好きな履物と鞄を選んで外に出た。日本のアニメーションで浴衣を着て祭りに行く姿をよく見るが、その浴衣を実際に着ていることが不思議に感じて、良い経験になった。写真もたくさん撮りながら観光したのだが、浴衣を着て歩く日本人の方も多く、また、おみくじ等もあり、アニメーションで見た日本の風景が広がっていた。TVの中のシーンは、演出のために作り出されたものではなく、本当に日本の人々の日常だったのだ、と実感した。
自由見学を終えた後、築地魚市場に直送の寿司定食を食べに行った。日本で寿司を食べることは、期待していた日程のうちの1つだった。セット寿司が一人一人の席ごとに並べられた。私は元から寿司が大好きだったので、本当に美味しく頂いた。昼食後に自由時間が設けられたので、済州チームの先輩たちと市内を見て回った。私は、日本語が全くできないのでみんなの役に立つことができず、ついて行くだけだったが、先輩たちは日本語も上手で、ルートもきちんと調べてくださり、とても快適に観光することができた。列に並ぶまでして有名なうどん店で夕食をとり、ショッピングもした。東京は、ソウルとかなり似ていると思った。
4日目は、ホストファミリーと対面する日であり、羽田空港から長崎空港へと飛行機に乗って移動した。南島原という独特な名前の地域に移動したのだが、風景が美しかった。昼食のビュッフェを食べてから2時間ほどバスで移動し、ついにホストファミリーに会うことになった。日本に来る前には、最も期待していた日程のうちの1つであったが、日本で数日過ごすうちに、最も心配な日程にもなっていた。言葉の面から来る不安がかなり大きかった。英語もほとんどできない方々と会話をすることができるのか、会話ができなければ2日間どうすればいいのか、かなり心配したのだが、ホームステイ当日、一緒にホームステイをする仲間が、みんな日本語が上手だったので一安心した。ホストファミリーとして面会したおじさんとおばさんは、2日間、私たちを本当の家族のように迎えてくださった。ホームステイ期間が、日本の文化を最も近くで知ることができた時間だったように思う。帰宅をしたら「ただいま」と挨拶をする、靴は外向きにして整理する等、些細なことからも日本を感じることができた。最も心に残ったことは、日本の家庭料理だった。特別に美味しいものを作ってくださったのかもしれないが、素朴ながらも多彩な料理がとても美味しかった(済州島でたこ焼きを初めて食べた時、とても好きにはなれなかったのだけど、ホームステイ中にたこ焼きを作って食べてみて、たこ焼きを好きになりました…)。食事だけでなく、おじさんは、二度と経験できないような素敵な思い出も残してくださった。船の上から見る花火や、小さな温泉に行ったこと、そしてそこの露天風呂から花火を見たこと。おじさんの孫のかわいいオオシロくんとユノワちゃんの思い出や、ボートレースで投げてくるお菓子を捕った思い出等、その時の写真を見ると、自然と笑顔になってしまう。そんな幸せな思い出がたくさんできた。
6日目は、ホームステイ解散式があった。ホームステイを始める前は、言葉も通じないのに別れを悲しく思ったりしないだろうと思っていた。しかし、実際に別れの瞬間が訪れると、とても悲しくて名残惜しかった。日本語の勉強をほとんどしなかったことを最も後悔したのはこの時で、感謝の言葉と「いつまでもお元気で」という言葉を日本語で伝えることができなかったことが悔やまれた。おじさんとおばさんが、最後の日の夜にプレゼントとしてお菓子を下さり、「カワムラ」と包装紙の上に書いてくださった。ここでの思い出を忘れないでねとおっしゃったのだが、帰国してから1週間が過ぎた今も、私はプレゼントの包装紙の封を切れずにいる。
6日目は、ホームステイの解散式に続いて、日本の伝統を体験する日であった。島原城や武家屋敷通り等、漫画の「大望」に出てきそうな、武士たちの家と城を見学した。この日は、地産地消メニューの昼食と夕食を食べた。地産地消とは、地域の生産品を地域で消費するという、ローカルフードのような概念の単語だった。地域性が出る食事で、とても美味しく頂いた。昼食を食べた後は、雲仙ロープウェイに乗ったのだが、霧が多くて外が見えなかった。しかし、それはそれで神秘的だった。雲仙ロープウェイ体験を終えた後、日本の温泉旅館を体験するため移動した。そこは硫黄温泉であった。
旅館の近くには、雲仙地獄等、様々なものがあったのだけど、地面から煙が立ち込めてくるのを見て、日本にいるということを改めて実感した。地産地消メニューの夕食後には、先輩たちと温泉に行ったのだが、硫黄温泉なので金属のアクセサリーを身に着けずに入らなければならなかった。硫黄温泉だからなのか、水がとてもすべすべしていて、硫黄の臭いもした。私は温泉がとても好きなのだが、夏なので暑くて長く浸かっていることができなかった。興味深かった点は、毎日男風呂と女風呂が入れ替わるという点だった。朝早くに起きて、昨日の男風呂だった女風呂にも行ってみようと思ったのだが、眠くてとても実行できなかった。
7日目は、長崎で長崎ちゃんぽんを食べる日だった。長崎市内へ移動し、1899年創業の長崎ちゃんぽんの元祖「四海樓」にてちゃんぽんを食べた。今まで長崎ちゃんぽんとはヒリヒリした辛い唐辛子の味がポイントだと思っていたのだが、実際に食べた元祖長崎ちゃんぽんは、辛味のない淡泊な味であった。私には、ちゃんぽんには辛い味がよく合っていると思えたし、他の仲間もこれに同意していた。偽物が本物に勝った例と言えるだろうか?その次は、長崎平和公園と長崎原爆資料館を見学した。6日目に日本のガイドの方が説明したものを、通訳を経由して聞いたため、あまり理解することができなかったのだが、今回は韓国の方が説明してくださったので、たくさんのことを学ぶことができた。最も記憶に残ったことは、あちこちにある噴水等の、水に関連した造形物である。これらは、当時被爆した人々が「喉が乾きすぎて耐えられない」という言葉を共通して発したため、これを慰霊するべくあちこちに設置されているのだそうだ。政治的には問題があるかもわからないが、人々ひとりひとりに目を向けると、本当に胸が痛む。再びこのようなことが起きなければいいなとの願いを抱いた。
8日は、佐世保に移動して陶磁器の生産地域を視察した。この日は本当に暑くて、ほとんど溶けながら行動した。坂道に建てられた家々は、釜山の甘泉文化村のようだった。昼食は、九州グルメグランプリ2位の佐世保バーガー本店で食べた。ハンバーガーがとても大きくて食べるのが大変だったが、美味しかった。本店は、森の中のような自然の中にあり、建物も木造建築で、ファストフード店で食べるハンバーガーとは違う印象を持った。食事を済ませ、展海峰展望台を視察した後に、自由時間が設けられた。韓国であれば本格的に営業が始まる時間である7時30分にも関わらず、ほとんどの商店がまだ閉まっていて、少し戸惑ったことを覚えている。
9日目は、研修期間最後の日であり、一番エンターテイメントな日程が詰まった日だった。ヨットセイリングとシーカヤックを体験し、九十九島水族館海きららでイルカショーも観た。特に、昼食で食べたレモンステーキが本当に美味しかったのだが、やや韓国的な味がしたからだろうかと思った。夕方には福岡に移動し、成果報告会をしたが、各組が研修について、そして今後のアクションプランについて発表する時間が設けられた。聞いていると、本当に研修が終わるのだなと思い、名残惜しく、日本についてもっとたくさんのことを学んでいこうと思った。夕食は、名残惜しさから済州チームの先輩たちと福岡市内を見て回ったのだが、東京のように発展していたが、また東京都は違った静かな魅力が福岡にはあり、とてもよかった。ソウルの弘大みたいな感じがした。今日が先輩たちと一緒に食べる最後の食事だなんて信じられないね、と話し続けた。
研修最後の日は、別れの日だった。仲良くなった釜山の友人たちと、引率してくださった先生方と、惜別の言葉を交わした。9泊10日がいつの間に過ぎたのかと思うほどに、あっという間に過ぎていき、そこには、とても幸せで楽しかった思い出がたくさん残った。日本がどんな国なのかと言えば、とても魅力的な都市がいくつもある国だと言えるだろう。それぞれの都市ごとに感じられるものが異なり、西洋は勿論、東洋とも違った独自の文化を作り上げている日本で、魅力を感じないわけがない。また、時間を共にした多くの素晴らしい方々に出会えたことも、素敵な思い出になった。
日本の文化の中で最も記憶に残っていることは、「言語」だった。10日間に渡って私を悩ませ続けたが、それだけ日本語が魅力的だった。10日間を終え、私は必ず日本語を学ぼうと決心した。その国の言語で、その国とコミュニケーションが取れなかったことは、研修において最も後悔していることである。済州道に戻ってきた今は、来年の2学期に日本の大学へ交換留学するための準備のため、日本語の語学塾に登録した。10日間に渡り私が経験してきた日本は、心からまた行きたいと思える国だった。だから次回は、しっかりと準備をして日本を感じてみたい。研修が始まる前のオリエンテーションの時、教授が「今回の研修が、人生を変える機会となるかも知れない」とおっしゃった。今回の研修は、本当に私の人生を変えた機会となったようだ。
このような機会を下さった在済州日本国総領事館、そして9泊10日間、本当に素晴らしい案内をしてくださった引率の先生方と教授方に、心からの感謝を伝えたい。
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済州大学校行政学科 イ・グァンウ
前から日本文化に関心を持っていた私は、昨年の訪日団に参加した後輩の勧めで、今回の韓国青年年訪日団に志願しました。私の切なる願いが届いたのか、韓国青年訪日団に選抜されることになり、民間外交官として日本に行くことができました。今回の研修は、「日本の地方の魅力と地域活性化を調べる」というテーマで進行されました。研修期間中、天気が良くない予報でしたが、日本の空は晴天で私たちを歓迎してくださいました。まず私たちは、東京の目白大学を訪問し、目白大学韓国語科の学生たちと面会し、交流をしました。友達になった日本人のユカ、マリナ、アイナ、マヤカさんと共に、韓国と日本の共通点と相違点をテーマにグループ討論を行い、私たちは互いに違いはなく、多くの点で共感しているということを知ることができました。
翌日は、浅草で浴衣に着替え、浅草寺を見て回りました。自由時間は、学生たちに自律的に見て回る機会を提供してくださり、各自が考える日本を体験することができた素晴らしい時間でした。ある人は渋谷駅でフリーハグを行い、またある人は日本人の友達に会いに横浜まで行き、さらに別の人は東京の繁華街を歩き、各自異なった方法で良い思い出を作ることができました。
3日目は、長崎に移動し、南島原市でのホームステイを通して日本人の生活を体験しました。初めのうちは、ホームステイ中、日本語ができずに意思疎通に苦労するのではないかとかなり心配しました。しかし、言語よりも、互いの気持ちが疎通をする際にもっと重要であるという事実を知ることができました。ホストファミリーのお父さんとお母さんが、私たちを実の子のように扱ってくださり、私たちは、たくさんの愛情をもらうことができました。朝、近所の神社で面白い経験をして、昼に渓谷へ行き渓谷の滝の下で水遊びもして、お母さんが買ってくださったかき氷を食べたりもしました。そして私たちは、たっぷりと用意してもらった夕食の前で、日本の相撲の放送を見て、くだらない話をしながら夜を明かしました。ホームステイの解散式では、一緒に過ごした時間はとても短かったけれど、まるで旧知の仲であったかのように、目に涙を浮かべながらまた会うことを約束し、惜しみながら別れました。ホームステイの経験は、忘れることのできない思い出のひとつになりました。
雲仙市では、旅館に宿泊し、一晩の間に3回も露天温泉を体験するという、一味違った経験をしたりもしました。長崎平和公園と原爆資料館を訪れ、私たちは、原子爆弾が落ちた11時2分の瞬間に行くことができました。その日、長崎の時間は止まりました。原爆落下の中心地で空を見上げ、その時犠牲となった無辜な日本人たちと韓国人たちを追悼し、再び平和について考えてみる機会となりました。その他にも、魅力的な日本を見て回り日本人たちの親切さに触れ、また、多彩な体験活動と美味しい食事を経験し、福岡で成果報告会を終えて、今回の研修が終わりました。
研修が始まる前は、ゆっくりと進んでいた時計の針が、終わりに向かって走りだしたかのように、名残惜しさを残して時間が次々と流れていきました。韓国青年訪日団は、夢を持った青少年たちに素敵な機会をくださったのだと思います。韓国青年訪日団という9泊10日間の研修は終わりを迎えましたが、ここでの学びは、私たちの日常の中に浸透し、参加者たち各自の心の中で、自身の夢に向かって歩んで行くための良い基盤になっただろうと信じています。今回の研修の間、たくさん苦労されたであろう日韓文化交流基金関係者の皆様や、在済州日本国総領事館関係者の皆様等、関係したすべての方々に感謝申し上げます。
日本で偶然出会った韓国青年訪日団第2団、目白大学の友人たち、ホームステイの家族の方々たちといった素敵な人の縁と、彼らと共に過ごした時間を、胸の中に大切にしまっておこうと思います。
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済州大学校英語英文科 チェ・ソウン
最近、日本への関心が強まり、複数専攻として日文学科を選択しました。日本語だけでなく文学についても学ぶことになったのですが、私が学んだ日本文学の背景である日本の地域や文化を、もっと深く学び理解してみたいと思い、旅行の計画を立てていた最中、JENESYS2017韓国青年訪問団のことを知り、参加を申し込んで9泊10日間の日本研修に行けることになりました。浴衣の試着、325年の歴史を持つ豆腐料理店への訪問、ホームステイ、陶磁器村体験、ヨットセーリング、温泉旅館での宿泊、自由時間等々、9泊10日間の日程は、韓国青年訪日団のために日程を最大限効率的に、たくさんの体験ができるように組まれており、関係者の方々が目に見えない努力をしてくださったということが感じられて、とてもありがたく思いました。また、それだけにプログラムの一つ一つが印象深くて楽しかったです。加えて、東京、長崎、福岡へと移動したことで、日本が地域ごとに独特の特色を持っていることも実感することができました。東京では、目白大学を訪問したことが最も記憶に残っています。日本の大学生に会う機会は滅多にありませんが、どの学生も韓国文化を愛してくださり、また、韓国語がとても上手だったので、難なく意思疎通をすることができました。みな同様に特定のテーマを設定し、両国の意見を聞いての討論ができたことがとても良かったのですが、真面目に討論していても、芸能人の話が挙がると盛り上がってしまう姿に、国が違えど間違いなく皆同じ学生なのだ、と実感することができました。短い時間でしたが、友情が芽生え、別れるときには名残惜しく感じました。再会を約束し、韓国へ帰ってもSNSを通じて連絡していくことになった素晴らしい友人もできました。こうして日本の学生と会ってみることで、両国の関係が、今後もっと友好的になっていくかもしれないとの期待感を持つことができました。
最も印象深かった体験は、長崎県南島原での2泊3日間のホームステイでした。私が日本に行くとしたら一番経験してみたかった日本の静かな「美」を、ホームステイの間、心行くまで体験することができました。私が着いた日は、運よく村祭りの日で、祭りを見に行ったのですが、自由旅行やパッケージ旅行では来ることのできない空間に自分は立っているのだと思うと、とてもわくわくしましたし、価値ある時間になりました。日本映画でのみ見たことのある「金魚すくい」をする子どもや、浴衣を着て祭りを楽しむ女子高生も観ることができました。祭りが終わる頃に、打ち上げ花火をみんなで見ながら、短い時間ながらも情が湧いてきて、家族のような連帯感を感じることができました。また、日本の家庭で生活してみることで、韓国と日本の同じようで異なる小さな違いをより深く体験することもできました。ホストファミリーのおばさん、おじさんと夕食を食べて、一緒に散歩をして、祭りを楽しみながらも、同じようで異なる文化を経験することになりました。また、経験し体感するだけでなく、さらに進んで、お互いの違いについて話をし、その違いの距離を狭める努力をすることができました。韓国に帰ってもいつまでも忘れることのできない貴重な思い出と経験になりました。
今回の研修を通して、日本が自国の魅力の向上と発信に多方面で努力していること、そして、それだけ自国の魅力に自信があるということが印象深かったです。私もまた、その魅力にはまった一人の人間として、韓国へ戻ってからもこの感情を多くの人々と共有し、また、韓国の魅力もこのように伝えることのできる人にならなければならないと思いました。
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