7月12日(火)から21日(木)までの9泊10日間の日程で,済州の大学生9名が日本に派遣されました。
参加者は,今年5月に当館で実施した一般選考によって選抜されました。
本訪日団は,日本政府が実施する「21世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYS2.0)」の一環として企画されたものです。
名古屋,三重,愛知,長野,富山,東京等において,企業及び工場訪問,日本の大学生との交流,地方都市でのホームステイ等,多様なプログラムが準備されました。
今回の日本訪問に関する団員たちの感想文の一部を紹介します。
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済州大学校観光経営学科3年 キム・ユンファ |
最初「韓国青年訪日団」に応募した時は,単純に昨年訪れた日本が良かったので,その日本を再び感じたいという思いが強かった。そのため,無料で日本旅行ができそうだ,という考えだけで応募するに至り,その後面接の準備を進めながら,少しずつこの訪日団を通して私が得たいことを整理してきた。私は,旅行ではなかなか経験できないコミュニケーションを通じて,日本について気になっていたことを明らかにしていき,また,私が知っていることを日本に伝えたいという思いで面接に挑んだ。特に,前回の日本旅行で感じた「サービス精神」に対する日本人の思考が気になっていたし,また,日本人に「フェアツーリズム」(当館注:Fair Tourism。フェアトレードとエコツーリズムを組み合わせた概念で,現地への適切な費用の支払い,自然への影響の最小化,現地文化の尊重等を意識した旅行のあり方)を伝えたいと思った。
こうして面接を通過し訪日団に合格した私は,オリエンテーションを受けた後,訪日研修団の資料を最初からゆっくり目を通してみた。前回の北九州旅行を終えて,「次の旅行は名古屋周辺や中部地方に行きたい」と考えていたが,偶然にも望んだ場所に行けることになり,幸運に思った。資料を読んでみると,「上高地」と「立山アルペンルート」という2か所では,「環境を考える山歩き」をする予定になっていた。だから,山歩きをするにもかかわらず,この2か所は私にとって最も期待できる場所だった。フェアツーリズムに関する夢を持っていたし,今回の研修を通して日本の文化に合ったフェアツーリズムを考えてみようと思っていたので,この2か所でたくさんのことを見て,聞いて,感じなければならないと思った。そして,はやる気持ちで荷物をまとめ,朝早くにむくんだ顔で他の参加者たちと会い,ぎこちない雰囲気の中で私たちの日程は始まった。
ドキドキしながら飛行機に乗って,金海空港で降りて釜山チームと合流した。まだ済州チームと仲良くなる暇もなかったのに,釜山チームと共に第2団として括られ一緒に行動するという事実に,想像していたよりもずっと不安になった。こうして緊張した雰囲気のまま名古屋中部空港に到着,その後9泊10日の間一緒に行動するガイドの先生及び日韓文化交流基金の横山さんと合流した。
初日は,飛行機に2度も乗ったからかとても疲れたし,心がまだ緊張していて本当に辛かった。当然ながら,私が今後の日程をちゃんとこなし,面接の時に自信を持って話したことをすべて得ることができるのかという疑問も浮かび始めた。そんな不安な気持ちのまま眠りについたけれど,その後すぐにその心配と不安は振り払われ,私は楽しく研修団の日程に参加することができた。引率の教授を含めて計10名の済州チームは,少人数だからなのかかえって一層ひとつにまとまり,お互いに配慮し合った。次第に,私はこのチームに所属しているのだという感覚が強くなり,その時からこの訪日研修団が居心地良く思えるようになった。そして成果報告会の準備をする中で,あえて釜山チームと済州チームを分けず,一緒に顔を寄せ合わせて意見を交わすことで,私が所属するチームが,済州チームを超えた第2団,更には韓国青年訪日研修団という大きな所属なのだということを実感することができた。
今回の研修団の活動を通じて印象深かったことは,「環境を考える日本」だ。私は,海の博物館での海女特別講座,上高地,立山,最後の東京自由研修中に利用した市内バスにおいて,「環境を考える日本」について,多くのことを見て,聞いて,感じることができた。海の博物館での海女特別講座は,日本の「海女さん」と関連した内容だった。単純に海女に関した内容を話すのだろうと思い,暗い会議室でうつらうつらとし始めた時,思いもよらなかった「持続可能な開発」に関連した内容が出てきたことで,一気に目が覚めた。彼らは,徐々に減っていく海女の数を維持するために本当に多くの努力をしており,海産物を採集する時には大きさを測る道具を持って行き,自分自身が採った海産物も一定の大きさに達していなければ採集しないという説明を聞いた。それが環境を保護し,今後も海女の活動を持続可能なものとするための彼らだけの約束であると話してくださったのだが,本当に思いもしない場所でも環境を考えている日本の姿に,一番最初に出会うことができた。
次に,オリエンテーション資料を見たところ環境に関連した話をたくさん聞けそうだと思っていた上高地において,期待していたものよりも本当に多くのことを感じることができた。まず,上高地は,自然保護のために一般バスの出入りを禁止しており,指定したバスを利用してのみ入ることができる。そこからして私は大きな感銘を受けた。韓国では間違いなく一度も見たことのない事例だ。その後バスから降りて,河童橋を渡り,自由視察の時間を経た後にトイレに入ったのだが,そこでも「環境を考える日本」を目撃することができた。「持ってきたゴミは本人が持って行こう」という言葉があちこちに書いてあり,そのためかゴミ箱も見つけることができなかった。また,トイレの入り口には,環境保護及びトイレ運用のための募金箱が設置されていたことも,韓国では見ることのできない風景だったので,今も鮮明に覚えている。川霧が静かに移動する上高地の日程の翌日は,立山アルペンルートに向かった。ここでもやはり,ロープウェイ,高原バス,トロリーバス等,決められた移動手段を通して見学し,そこで出会った保存された大自然の雄大さと偉大さを,全身で感じることができた。
最後に,東京で神田外国語大学の友人たちと交流を終えた後,自由研修時間にディズニーランドに行こうとすると,その友人たちが親切に行き方を書き留めてくれて,直接同じバスと電車に乗って連れて行ってくれた。バスに乗ってしばらくの間,話をしていると,バスが突然エンジンを切った。前に日本旅行で利用したバスも,赤信号で止まるとエンジンを切っていたことがにわかに思い出された。その理由について日本の友人に尋ねてみると,環境保護の観点からそうしているという回答を聞くことができた。しかし,環境に良いかも知れないが,むしろバスの故障が起こりやすくなるため損害であるとの言葉も聞くことができた。友人の話を聞きながら,バスの故障を勘案しても,環境を保護しようという規則を守る姿を見て,本当に素晴らしいと思った。
こうして「環境を考える日本」を見ていくことで,最初に私が最も大きな目標に掲げていた「フェアツーリズムの伝達」よりは小さな目標ではあったけれど,みずから感じられた日本文化に合うフェアツーリズムの要素を探してみることも,この研修団の活動を通じて経験した大きな学びだと思った。こうして日本の文化を感じること以外にも,今回の研修団を通じて本当に貴重な人の縁と思い出を得ることができた。成果報告会がその始まりであったが,それを一緒に乗り越えるために,夜になるとみんなで集まり,この間研修日程を通して感じたことを話し,また,細かくは本人たちの心配事まで話すことで,本当に多様な考えを聞くことができた。そうして一緒に悩んだ結果,成果報告会も成功裏に終えることができたし,お互いどんな考えをもっているのかを知る良い機会にもなった。引率教員として一緒に行動してくださったソン・ヨンソク教授も,学生ひとりひとりに関心を持ってくださり,遅い時間にもかかわらず本人の部屋まで貸してくださり,私たちが討論する場所を準備してくださる姿を見て,本当に感動した。普段思っていた堅苦しい「教授」という職のイメージが壊れ,教授のおかげで一層和気藹々とした雰囲気の中で日程を終えることができた。すべての日程が終わり,ガイドの先生と別れる時、空港まで一緒に挨拶しに来てくれた横山さんと別れる時,そして金海空港で釜山チームと別れる時,最後に済州空港でみんなと離れ離れになる時,なんだかわからない名残惜しさと恋しさで心の中がいっぱいになった。なぜか,また夜にひとつの部屋に集まって成果報告会の話をしなければならないような気がして,明日の朝には何時に起きて朝食を食べるのか話さなければならないような気がして,朝にはバスにみんなで座ってミネラルウォーターを後ろから回さなければならないような気がしたのだけれど,本当に10日という時間が短く感じられ,その間に仲良くなれなかった人も多く,その名残惜しさは一層強まった。それでも,こうして良い人たちと共有することができる意義深い経験をすることができて,本当に幸運だと思っている。 |
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済州大学校政治外交学科2年 チェ・ジョンフン |
「遠い隣国」という言葉は,現在の韓国と日本間の状況を表す言葉だと思う。地理的には,中国と共にどの国よりも近いけれど,政府間,あるいは国民と国民間の距離感は,地球の反対側の国家ほどに遠い。しかし,今回の訪日研修団プログラムに参加した韓国の青年たちに尋ねてみたならば,韓日両国間の関係について,既存の私たちの通念とは異なった,多様な考えを持っていることだろう。その中でも,今回の日本交流修学を通して経験した,新しい私の感覚を中心にして,以下記していこうと思う。
日韓文化交流基金が主催した9泊10日間の日本政府招へい韓国青年訪問団は,短くも長い期間の中で,日本の中部地方と東京を中心に,政治,経済,社会,文化をくまなく訪問・経験した。既存の訪日団コースとは異なり,今回のプログラムは,日本の中部地域を中心に組み立てられているのだが,今回の訪日団の主題である「地産地消」を学生たちが直接近くで感じるには,最善のコースだと思った。「地産地消」は,「地域で生産したものを地域で消費する」という意味である。普段,社会問題に対する関心が多い私でも,その言葉の深い意味を理解できず,大きな意味を見いだすことなくプログラムをこなしていった。しかし,一日一日が過ぎていき,そして学友たちとお互い感じた「地産地消」について話を交わすほどに,日本という国家は,むやみやたらと「地産地消」という言葉が飛び交う国家ではないということを実感した。私にはその姿が,ある特定の個人あるいは企業が,1つの国家を支配する形態ではなく,地域固有の姿を保存しながら隣人同士共生する姿に見えた。
2泊3日の「村松さん」宅でのホームステイ活動もまたそうである。村松さんは,とても学識の豊富な父親でいらしたのだが,私たちが「地産地消」について疑問を示すや否や,いくつか例を挙げながらわかりやすく話をしてくださった。
政府の全幅的な支援そして地域住民たちの共同体の場を中心として形成された文化は、まず特定の経路としての経済的で従属ではない分配形態のシステムを形成しており、活発な地域住民たちの間の交流と疎通を惹起し、地域の祝祭である「祭り」行事、そして共同作業のような活動をしばしば見ることが出来た。時代が流れるに従い、個々人間の無関心と憤怒の社会の中でお互いが同伴者の関係として認識する日本地方文化は自分だけではなく韓国社会に示唆することがとても大きいと考える。
2つ目,画一化された文化ではない,地域固有の文化の特色である。これもまた,地産地消と関係があると思われるが,現在私が暮らしている済州道と比較してみるため,別の話をしようと思う。最近の世界化の特徴は,主流文化である西欧を中心とした模倣中心の形態である。そうして次第に世界は大型ホテル,ゴルフ場,百貨店を中心にした地域社会が構成される。短期的な側面では,これもまた地域社会を発展させる際の大きな助けとなり得る。しかし,長い目で見ると,これは地域の固有性,特殊性のない文化である。類似の利用施設を持った他地域が新しく形成されたなら,既存の持っていた文化は競争力を喪失し,社会的費用もまた大きな損失を招く。これと比較して,日本はどうだろうか?私が行って直接感じた日本文化は,西欧の立派な施設は備わってはいないが,その代わり,地域の地形を利用し,そして過去から続く伝統を継承して,これをうまく現代化させている姿だった。「ミキモト真珠島」がそうである。ミキモト真珠島の場合は,真珠という特産物だけでなく,済州道と同じく海女文化が発達した場所である。済州道との大きな違いは,海女文化を,海女という活動を,第三者である観光客らに直接試演を見せて,彼らが採集した水産物を近隣の商店で販売し,これを利用した飲食店を備えることで,観光地内で生産と消費を一緒に行っていた。これと比較した済州道は,地形地物,伝統を生かすよりは,無分別な免税店,ゴルフ場を通して地域経済の活性化を行おうという姿に見える。しかし,日本は海女という文化を外国人らに紹介し,彼らの消費を通した地域経済発展という,二兎を追って二兎を得る彼らの老練さを垣間見ることができた。
韓日間の海女起源論争を離れ,その文化を地域の特色として生かす彼らの姿が,済州道の海女を伝える私たちの国の姿と大きく異なっていた。事実,今紹介したことは,私が感じた日本の氷山の一角に過ぎない。私もまた,周りの友人たちと同様に,日本について専ら肯定的であったとは言えない。しかし,9泊10日間日本本土に直接渡って彼らと話をしてコミュニケーションをとりながら,お互いが持っていた否定的な過ちを抜け出し,彼らの文化を尊重し,さらには学ぶことも多いということを知ることができた。韓国と日本のそれぞれは,間違っているのではなく異なっているのである。お互い尊重しあい,日韓文化交流基金のような団体を通じて未来世代の主役である青少年らが活発に交流すれば,日本の地域文化の特色である「地産地消」,すなわち共生する姿が,両国間にも確立することができると思う。グローバル低成長時代に,互いの信頼と共生ほど重要なものが,他にあるだろうか?これに対する質問の答えは,直接日本に渡って感じることをお勧めする。 |
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済州大学校史学科4年 ホン・ジュヨン |
JENESYS韓国青年訪日団の2016年のテーマは,「日本の地方の魅力発見と地産地消:中部地域編」であった。日本の地方の魅力を発見することは,韓国の地方である済州道に暮らす私にとって,別段違いがないように思えた。また,地方で生産してその地方で消費するという「地産地消」という単語は耳慣れない感じがして,訪日する前まで今回のテーマは捉えきれずにいた。しかし,日本での時間が過ぎれば過ぎるほどに,私の思いはたいしたことのない心配であり,その代わり,新しい日本が見え始め,視察だけでなくホームステイや日本人の友人たちとの付き合いの中で,多くのことを学び得ることができた。
まず,地方視察を通じて日本の地方の魅力を発見し,地産地消の意味を知ることができた。そして,普段から関心があった日本のコンテンツについて学ぶことができた。三重県伊勢志摩地域の特産物である真珠工場とミキモト真珠島は,1か所で生産と消費を同時に行っていた。ミキモト真珠島では,三重県の特産物で食事を作る飲食店,真珠博物館,真珠販売店が1か所にあって,伝統的な衣服を着た日本の海女の実演等を見ることができた。多様な見世物と食べ物を1か所で楽しむことができるのであり,ここに来る人々は,家に帰るときにはミキモトといえば真珠が浮かぶほどで,コンテンツの重要性を強く感じられた。世界ユネスコ遺産に登録された白川郷には,日本の大雪が頻発する地域に見ることができる日本伝統の建築様式「合掌造り」を見ることができた。まるで韓国の安東河回村を連想させる場所であった。2つの村は,異なる国であり異なる様式を帯びているけれど,地方の小さな村に位置していて,伝統を今まで守り抜いているという共通点を持っていることに意義を感じられた。立山では,ケーブルカー,高原バス,トロリーバス,ロープウェイ等,様々な地形を多様な移動手段を通して壮大な景色を観賞することができた。立山は,日本のアルプスだというが,確かにその通りだった。カメラで写しきることのできない夏の青い緑園と私が今まで見たことのない大自然を,私の目にだけ焼きつけておいたことが,とてももったいなく思えた。
地方視察をしながら,日本政府,地方自治団体の積極的な協調と住民たちの参加があったために,ミキモト真珠島,白川郷,そして上高地や立山のような名所が,今まで名声が続いてきているのだと思った。「地産地消」というその地域のアイデンティティがよく表れているコンテンツを視察し,たくさん学んで帰ることができたし,韓国,特に済州の地域性を表すコンテンツを計画する際の多くの助けになった。
2つ目として,ホームステイは日本を直接的に体験することができて,今回の研修で最も記憶に残った。私は釜山チームの友人ら3名と,佐藤さんの家に割り振られた。佐藤さんの家族は,佐藤さんのお母さん,佐藤さん夫婦,娘と婿,そして孫娘まで,計4世代が1つの家に暮らしていた。私は日本語ができなかったけれど,私たちの間で,通訳に勝るとも劣らない釜山の友人のおかげで,意思疎通ができた。しかし,私が話したいことを思うままに話すことができなかったことは,後悔が残った。何より小さな衝撃を受けたことは,韓国で最も高い1,950メートルの漢拏山を説明すると,佐藤さんは窓の外に見える近くの山を指さし,「前に見える山は2,000メートルだよ」と言ったことだ。この言葉を聞いて,再度ここが日本なのだと言うことを実感したのだった。
最後の日がやってきて,私たち4名は,「まさか泣かないよね」と言葉を交わしていたのだけれど,その言葉は現実となってしまった。2日間に渡り,温泉に連れて行ってくれたこと,数多くの星が光る夜空の下で,一緒に北斗七星を探したこと,私たちが農村体験をした畑で直接栽培した農産物で,毎食美味しい食事を準備してくれたこと,そして言葉が通じない私たちの話を,興味を持って聞いてくださったことなど,多くの感謝がその短い別れの中で走馬灯のように過ぎていった。今回のホームステイは,日本の文化,日本人の親切さと情を感じることができた,短いけれどありがたい時間だった。
最後に神田外語大学を訪問し,日本の友人たちと付き合うことができた。済州でOTをする時,科長と領事館が強調されていたことは,自分の人生の助けになってくれる外国の友人と付き合えということだった。一日にも満たない短い時間で友達になれるだろうかと懸念していたけれど,日本の友人たちと出会った短い時間は,名残惜しく感じるほどに充実していた。韓国チーム5名と,神田外語大学韓国語学科4名が組まれて,ぎこちない自己紹介から大学探索ツアーまでをこなしながら,私たちの間は近づいていった。国は違えど同じ年代なので,共感できる部分が多かった。私と同い年の友人たちが,流暢に韓国語で話す姿を見ていると,その友人たちから学ぶ点は多かった。今回の交流を通して,4名の日本人の友人たちは,私の初めての外国の友人になった。お互いに訪韓,訪日をする時に会おうと約束した。
成果報告会で,私たち第2団の発表では,「地産地消」という言葉を,その地域で生産したものをその地域で消費するという意味に限定せず,その該当地域に足を運んで生じた感情を,その地域の人々と互いに感情を交流することである,と意味を拡張させたが,これは今回の訪日団のテーマである「地産地消」に合った題目であると思った。私は,今回の訪日研修へ出発する前日まで,単純に私が関心のあるコンテンツの分野に集中していたけれど,その枠を抜け出して,日本文化,歴史,社会を体験し,そして日本で素敵な人々と出会い感情を交流することができたことに,大きな意味を見いだすことができた。
最後に,日本での9泊10日の機会をくださった領事館,日韓文化交流基金関係者の方々,団長様,引率の先生,通訳の先生等,今回の研修を共にしてくださったすべての方々に,感謝申し上げます。 |
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